いしころ3
「人生の石ころpart4」




<人間の哀しいサガ〜家庭は人生の勉強場〜>

私の父と私の祖父は、実の親子ですが、あまり仲が良くありませんでした。
祖父はとても厳格で、言葉で人を納得させるのではなく
自分がして見せる・・・自分のとった 行動で
周囲の者に人生の勉強をさせるという考えの持ち主の人でした。
無口、でも勤勉で、真面目、働き者、頑固、正義感の強烈に強い方でした。
滅多に言葉を発しない、その口から出てくる言葉は
「人間というものは、こうあるべきである。」
そういう言葉だけだったのです。
そういう祖父の下で育った父ですから、
もちろん父も勤勉で真面目、無口で
冗談をあまりいうような人ではありません。
それでも父には何と言いますか、寛容さが多大にあり、
近づきにくかったですが、ホッとする部分もあり
私はそんな父が大好きです。

祖父がまだ60代の頃胃潰瘍で手術をし、やっと退院するという日に
父は「田んぼが忙しいから」と迎えにもいかず
もくもくと苗代作りをしていたんだそうです。
祖父はその事を死ぬ間際まで気にしていて、
「退院時に、実の息子に迎えに来てもらえず、寂しい思いをした」と
祖母にだけこぼしていたそうです。
その話を聞いたのが、祖父の通夜の日でした。
生きていく為には努力と根性と忍耐という事を身体で表現して
息子に教えてきたその事が、
「一番根底にある大事なものは、愛情なんだ」という事を
伝えきれていなかった・・・
その歯がゆさが年をとってきた祖父に、
次第にひしひしとのしかかってきていたようです。
祖父が無口に、くそ真面目に働いてきたのは、すべて家族のためであり、
男たるもの、家族を持ったらしっかりと守っていかねばならない・・という
教え。その奥には愛する家族がいるという事なんです。

祖父の臨終に父はいませんでした。
父も65才を越え祖父と同じように胃潰瘍で入院をし、
その手術予定日だった日の前日の朝に
祖父が自宅で倒れ、帰らぬ人となったのです。
祖父は倒れる前日までピンピンしていて
庭の庭石を運んだり、自転車で買い物に出かけるくらい元気だったのです。
仲があまり良くなかった父と祖父だったけれども
祖父は「あいつ(父)はいつ病院から帰ってくるんや?」と
母にしょっちゅう聞いていたそうです。
倒れてから息を引き取る前に、父も祖父に一目会いたいだろうと
私達が「病院に迎えに行くからおじいちゃんに会う?」って言っても
「迎えに来なくていい」と言い張っていた父。
私には「迎えに来なくていい(会いたくない)」という言葉の裏には、
元気な祖父の姿のまま、無口で寡黙に取り組んでいる父親の姿だけを
目に焼き付けておきたいという気持ち一心からなんだろうと 思いました。

祖父が無言で自宅に帰ってきたときには
父は病院を仮退院して自宅にいました。
祖父の横たわっている枕元で
正座し、深々と頭を下げ、一言

「長い間本当にどうも有難うございました!」と・・・

うつむいた顔からは、涙がぼとぼとと流れ落ちていました。

私は目の前で
まざまざと見せてもらいました。
人生とは一体何なんだろう・・・
人は生まれて、苦しみや悲しみ
嬉しさや楽しさを味わいながら
生きていく。。。
愛するゆえに、辛い言葉や辛い態度をとったりする。。。
でも何が根本にあるのか・・・っていえば
やっぱり、愛情なんですよね。。。
それに気づいてもらえるか・・・
ただキツイ人。とレッテルを貼られるか・・・
愛情が伝わらないって本当に辛いです。寂しいです。

どれだけ人の気持ちを理解できるか・・・
その目だけはしっかりと持っていたい・・・と
痛感しました。
今、父は退院をして療養中です。
どこをどう探しても世界に1人しかいない、私の実の父。
言葉少ないけれど、
あなたの気持ちは出来る限り理解しているつもりです。。。


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前回のお話<優等生という名の鎧を脱ぎ捨て・・・>
前回のお話<親愛なる父へ>

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