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今年の桜はまことにあっけなく散り急いだが、今の季節は桜花を補ってあまりあるように、とりどりの花が街中を彩ってくれている。色鮮やかに咲くパンジーやチューリップの花弁にふと足をとどめている私の傍らを、今朝も元気よくおしゃべりしながら子どもたちが登校していく。年長のお兄さんやお姉さんに連れられて歩く新入生、いかにもそれらしいとわかる中学生になったばかりの詰めえり服の少年たち、自転車を急がせる女子高生、どの顔も活気に満ち、まっすぐに自分たちの学校へと向かっていく。毎朝出会うこのあたりまえの光景にふれつつ、私の心は「学校に行けない子どもたち」の方へと傾いていく。新学期が始まったばかりというのに、早くも学校に行けなくなっている子どもたちは、このかぐわしい季節にも背を向け、ひっそりと身をひそめて苦悩と向かいあっているのであろうか。
私の病院の一角にあるデイケア棟でも、このような子どもたちを受け入れているため、毎年3月末には卒業生を送り出し、4月になるとまた新入生を迎えることになる。デイケア棟を無事に巣立っていってくれる子どもたちも数多いが、心ならずも挫折した子もいる。哀歓がいりまじるのである。昨年6月から今年3月までずっと休み続けた中学生のA子さんは、4月から元気に登校を開始した。ごく最近、彼女は、「あたりまえのことがとてもうれしいんです。」と言ってくれた。大人からみれば、子どもたちが学校に通うのはあたりまえのことである。しかし、いったんつまずいた子はあたりまえのことができなくなる。だから、A子さんの言葉はとても私の心にしみるのである。彼女がどれだけ苦しみ、そしてそれを乗りこえたかが、このひとことにこめられていると思う。私は、彼女のカルテをあらためて繰りながら、その表紙に書かれている「不登校」の文字が急にぎこちなく思えるのを感じ、自分で書いたものながら消していまいたい気持ちにとらわれた。このひからびた文字をもうA子さんには貼りたくない。小さい肩に背負いきれないほどの苦悩を負っているのなら、私たち大人がほんの少しだけでもわけもってあげよう。子どもたちよ、ひかり輝くみどりの中に胸を張ってとび出しなさい。若木が伸びていくように、あなたたちが成長していくのを辛抱強く待っている大人がいることを忘れないでほしい。
花の季節は、また、さまざまなことに思いをめぐらされる時でもある。
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