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加藤 隆夫 福井県自閉症児・者親の会会長(1984年) |
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父が、おまえと同じ障害をもつ仲間の父母と一緒に、おまえたちの家(更生施設)を建てようと決心したのはいつ頃だったろうか。おまえが、自閉症という脳の器質障害(視聴覚系の情報処理過程の発達的障害)から起こるとされる重篤な障害を背負っていなかったら、家など想像だにしなかっただろう。 Aさんに家のことを話したら、「自閉症者の施設がなぜ必要なのか。」と質問された。父は、おまえの仲間を多く知っているが、いつも不思議に思うのは、一人一人障害度・症状に差があることである。自閉症を研究している先生は、おまえたちが自立に向かって歩むのを、階段にたとえて説明される。「C君のためには十段の、H君のためには百段もの階段が必要で、十段でもそれを一気に登ることができない。一段ずつ、しかも個人の能力・欲求を生かした一貫性のあるプログラムを組み、長い時間をかけないと登れない。」たった十段登るにも何十年もかかる者もいるという。どんなに長い階段だろうと、おまえたちは生涯を通して登り、変化してくれることを父は信じる。そのために、両親が年老いても、亡き後も、階段を登れるよう家を造ってやりたいのだ。
K先生は、家について「隔離収容以外の何者でもなく、完全参加と平等の精神に反する。」という教条主義的な発言をされた。しかし、日本の社会では、地域の人がみんなであたりまえに、おまえたちの面倒をみ、共に生きてくれないことは、おまえもわかってくれるだろう。でも、父は、おまえたちが地域の人々とどこかで必ずかかわっていく、そういう場所に家を建てたい。
父の友人Tは、「障害者の施設は、行政の責任・義務である。そのためにも税金を払っているのだ。障害児をもつ親として“権利としての福祉”を行政に対して要求だけしていればそれでよい」という。父は思う。権利としての福祉を要望し、“義務として”応じてくれても、はたして“こころ”が存在し得るだろうか。それは、おまえたちにとって本当に幸せなことなのだろうか。父たちの汗水たらす行為は、とことん親として、我が子に対して責任をとろうとする決意のほとばしりだ。
おまえたちに建てる家は、単なる家ではない。見えないもの“こころ”を一つの形として贈りたい。“こころ”がいちばん信じられるものだ。おまえたちも、それをしっかりと全身で受け止めてくれ。
父は頑張る。おまえ!何かいえよ。 |
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