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中野 幸男 若越ひかりの村コロニー所長(1984年) |
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8月21日から3日間、当施設で、在宅身障幼児親子10組による療育キャンプを行った。今年で5年目であるが、障害幼児をつつむ状況は少しずつ変化しているようである。
例えば、今年の参加児全員が、母子通園か通所施設または混合保育を受けている。我が子をどこに通わせるか親が選択した結果だと言う。障害の診断をどこで受けたかについても、県内の病院・相談所が多く、二・三人が近県の病院・施設で受診している程度である。以前は、幼児治療の場は少なく、収容施設入所か完全在宅だったし、多くの親たちは京阪神や東京や遠く北海道などの大学病院めぐりをしたものだった。
さらに感じたことは、“親と子が共に生きている”という印象である。当たり前といえばそうなのだが、私たちがかつて接したきた障害親子は、共に生きるとはいえない状況だった。治療の場もなく悲嘆にくれている姿や、将来への不安に沈み込んでいる姿(昔はこれを家庭内心中と言った)、ましてやそのための家庭崩壊に至ってはとうてい共に生きているとはいえないのである。
今回参加の親たちにその悲しみ不安がないとはいえないだろうが、ある親子は、少し遠いが受け入れてくれた保育園に通いながら、週二回のことばの教室・月一回の療育センターの訓練を続けている。また、嶺南からの親子は、母と子の家に通いながら、今夏だけでも二カ所の療育キャンプを経験している。こうして、それぞれが我が子の障害に合わせて治療の場を求め選びながら、障害をとりこんだ家庭生活を営んでいるようである。
昨今は、いろいろな機関で治療活動が行われるようになった。私たちは、この“親子が共に生きるための状況”に応えられるよりよい療育の場、密度の濃い治療内容を提供すべく努力を重ねなければと思う。
「この道や 行く人なしに 秋の暮」
これは、近江学園々歌にある芭蕉の句である。戦後荒廃の中から障害児施設を築いた糸賀一雄・田村一二・池田太郎氏らの想いに通ずるものがあったのであろう――。最近は―この道や行く人多し―大勢の人々がこの仕事にかかわるようになった。しかし、濃密な治療内容とは、一にかかって治療者の質の問題である。道は広くなり沢山の人が通るようになったが、私があなたに何をしてあげられるかという治療者の独自性を問われていることに変わりはない。以上は、療育キャンプを実施しての自戒の辯である。 |
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