第5号  この子らの成長を願って
 
山下 尚  神戸女子大学教授(1984年)
  先日、末の弟が肝臓がんで亡くなった。まだ、50歳余りの若さだったからか、母や父の死には感じなかった人間の哀れを知らされた。この頃は、平均寿命が延びて、一般に死はそれほど無常とは思わなくなったが、やがては、誰もが死を平静に迎えるようにならなければならないと考えた。
 
ところで、障害児たちはどうだろうか。その福祉や教育は隔世の進歩であるが、彼らは障害児なりに生まれてよかったとは思えるのだろうか。むろんそんな自意識は望めないとしても、彼らなりに、生きる喜びや、安んじて死を迎えるようにはできねばならない。
 
他方、「この命尊し」とか「命は地球よりも重し」とも言われてきた。だが、それのみでは感傷主義の響きしかない。そして、単なるヒューマニズムでは甘やかしにしかならないことを知った。では、どういうヒューマニズムに立ち、どのように命を大事にしなければならないか。
 生命現象は大自然そのものであるが、東洋ではそれを神と呼んだ。物質と呼んでもよいが、神とみることによって非常にその命が変わってくる。障害児もまた神であり得るのである。それ故、その「いのち」を自然に即して正し鍛え、そして、障害をのり越えようと努めることに喜びを持つようにするのがその命の尊重となる。それを、生活の中で実践しているのが、インドに発生したヨーガである。
 ヨーガは、相手を神として拝むことから始まる。そして、自らも神であると知るにある。それは、宗教ではない。むしろ、ヨーガは唯物論に根ざした科学である。
 まず食を正し、体内毒素を完全に排除し、呼吸を整え、心を正して無心になって、いま一人の自分に気づくことである。そこに、無限の喜びが湧いてくる。物事に没入するところに人間の至福感が生まれるので、これは真理であり非科学的ではない。障害児たちが、自らの障害をのり越えようと真剣になるところにこそ、生きる喜びが得られるのである。    
 私は、附属養護学校でこのヨーガ教育の実際化を試みたが、その思うことの半分も実現しなかった。第一に、給食の改善さえ充分できなかった。そして、体内毒素の排除や便秘の問題になると大騒ぎになった。生理を正し体を整えずして教育は始まらない。そして、本当の喜びも知らずして、どうして彼らの生きる喜びを得られようか。何もヨーガの強調ではなく、新しい発想が大切だと思う。