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私が初めて自閉症児に出会ったのは、夜は大学で学び、昼は東京都内の養護学校で介助員をしていた頃のことだった。あるクラスでT君の担当となり、教室を飛び出したり、屋根の上に登る彼を追いかける日々を送っていた。その中で、私の関心は障害児教育の方に傾き、T君のことを卒業論文にしようと考え、論文を仕上げたのだった。
この出会いも偶然だったが、その後の自閉症との出会いも偶然の連続だった。東北大学の大学院に進み、療育グループに参加すると、そこに来る子どもの多くは自閉症だった。また、福井大学に赴任したときも、附属養護学校に多くの自閉症児が集まってきていた。
にもかかわらず、自閉症研究が私のライフワークになったのは数年先だった。その理由は、一生をかけるような研究は、より所となる仮説を必要とするからである。だが、その仮説は目の前の自閉症児たちが教えてくれていることに気づいた。自閉症児は行動プログラムの作り方を知らないから、あのように動き回り、また、行動パターンを変更できないのだという仮説だった。この「前頭葉機能障害仮説」は、今や自閉症についての世界的な仮説になっている。前頭葉の前部領域は、情動や外部刺激によって引き起こされる行動を周囲の状況に合わせ、筋の通ったプログラムにしていく働きをしている。この働きがないと、行動は衝動的になり、目先の刺激にだけ反応するものになってしまう。
これと関連して頭に浮かぶのは、この数ヶ月、バスジャック・老人殺害・友達の焼殺など、ハイティーンの短絡的なプログラムによる犯罪が増加していることである。知識や効率を偏重して状況の意味を気づかせない環境が前頭葉の働きを損なったとも考えられる。最近の「IQでなくEQを」という反省も、実は前頭葉理論を根拠としているのである。もちろん、自閉症の場合は脳障害が原因で犯罪の方は環境要因が大きいから、両者を同一視してはいけない。しかし、新世紀の人間観はどうあるべきかについての、共通した答えをそれらは発しているのではないだろうか。
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