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義務教育の教員を目指す人が、介護や介助・交流などを体験しながら個人の尊厳と社会連帯について認識を深める目的で始まった「介護等体験」も、今年で2年目に入った。大学・施設・特殊教育諸学校それぞれが手探りのままスタートした初年度は、校長会調査によれば、全国で約13,000人、福井県では149人の大学生が体験を実施した。2年目の今年は参加者は増える見込みで、福井県では既に134人が体験を終えている。
教育現場に身を置く一人として、「介護等体験」で意味する「体験」をどのようにとらえたらよいのかと思案していたとき、僧侶公募試験に合格した修行僧と寝食を共にしながら指導に当たった比叡山延暦寺の叡山学寮寮監小林祖承さんのことばを思い出した。『現代はボタンとスイッチの時代。今の若者は知識はあっても知恵がない。自分がやってみることで、初めて人の苦労が分かるはずです。』
「見習い修行中はあくまで下座行。身の回りの掃除、げた箱などの生活用品をつくる、食事の仕度、まきで風呂をわかす……。ねらいは、人のために生きることを、観念ではなく体で分かってもらうためだった。」と記事をまとめた丸山記者が要約している。(朝日新聞:平成8年「ひと」欄)
小林さん自身が、脱サラで宗門に入った人だけに言葉に説得力がある。
学生を送り出す大学も受け入れる施設や特殊教育諸学校も、様々な思いを持って「介護等体験」に取り組んでいる。確かに、学生たちの中には、基本的なマナーに欠けていたり体験の意義を十分理解していなかったりする者がいるなど、今後解決すべき数々の問題を抱えてはいる。しかし、体験を修了した学生たちは、子どもたちのひたむきな生き方に感動し、自分の生き方・考え方などに思いを巡らすなど、わずか2日間の体験でありながら、充実した密度の濃い時間を過ごせたことへの感謝の気持ちが感想文に満ちあふれている。
人の痛みが分かる人間になれ、とよく言われる。痛みを体験して初めて人の痛みが分かるのが人の常。教育実習という言葉がそうであるように、「介護等体験」も「」がはずれて、早く市民権を得た日常的な言葉となってくれることを願っている。
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