第38号  いつのまにか
 
江戸 速経  福井県特殊教育諸学校長会会長(福井県立嶺南養護学校長) (1993年)
 最近、知人から「あと何年ですか。」という質問をよく受ける。このことについて、私自身あまり意識していなかったが、周囲の方々が色々と気を遣ってくださっている。「あと一年と少々です。」と返事をすると、「まだ若いですね。」とお世辞を言ってくださる。この時期にこのような質問を受けるのは、時間の問題ではなく「今までの教員生活は?」と自問自答する機会を与えてくださっていると思う。
 私が、知恵遅れの子供達の教育に関わったのは、昭和33年に敦賀市で初めての特殊学級が敦賀南小学校に設置され、担任になったのが始まりである。
 今、あの時代の日記を読み返してみると、学校の中で、私一人が特殊学級の担任をしなくてはならないことに反発したり、運営や指導方法など校内で相談する相手もなく、一人で悩んでいた時代であった。このような私の中途半端な姿勢、頼りない指導に厳しい助言を与えてくださったのは、大先輩であり今は亡き鯖江のS先生であった。
 当時、「特殊教育」は教育界全体の中で市民権を得るほどの体制ではなかった。そのため県下の担当者が集まって、様々な課題について夜を徹して話し合い、各学校での教育方針に「特殊学級の重要性」について掲げてもらうことに努力したものである。
 一方、担任者の心構えとして、当時、近江学園長の糸賀先生が提唱された「この子らを世の光に」と言う言葉をモットーにして、教師としての実践力を高めることが啓蒙(啓発)になると信じて、お互いに切磋琢廉したのである。
 昭和40年代に入って、県内の特殊教育に大きな動きがあった。その一つは、強力な助っ人として、福井大学にF先生がおいでになり指導内容・方法の理論的な助言を頂き、現在の基礎をつくったことである。今一つは、文部省が「心身障害児の判別と就学指導」を刊行し、伝達講習会を各地区で行い、私も伝達する一人として参加した。この講習会の主な内容は判別の基礎的な事項と、福祉、医療との「連携」の必要性を説くことであった。
 本県の特殊教育もこの波動を受けて、年々着実に充実・発展しており、特殊教育は「教育の原点」と言われるようになったことに隔世の感がする。
 現在、子供達の障害の多様化が進んでいる中で、各分野の専門家の方との密接な「連携」が更に必要であるが、その中で教育、教師側の発信が問われているように思う。