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小長谷 芳枝 福井県特殊教育センター所長(1989年) |
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毎年枝もたわむほど実をつけるグミが、今年は数えるほどしか色つとづかなかった。そういえば、次々とつぼみをふくらませて道行く人が足を止めたクレマチスの花期もずいぶん短かったように思う。気候が不順なせいなのか、それとも手入れが悪かったせいだろうか。
手入れが悪いことは自慢にならないが、”草むしり”なるものをほとんどしたことがない狭い庭は、ふるさとの山のミニ版である。
草々の中で、ミツバやドクダミがわずかな陽の光を求めて伸びようとする。元来15〜20pのものが、70〜80pにもなっている。桔梗もつられてどんどん伸びる。ホタルブクロも1mをこえた。
ころが、玄関先の陽あたりの良いところにある鉢植えに目を移すと、桔梗もこじんまりとしており、その桔梗の鉢にはまいた覚えのないカタバミやハハコグサ、オオイヌフグリ、ワスレナグサ等がぎっしりはえている。しかも、ちゃんと花をつけている。
限られた養分と水分を、この野の花達は分かち合い、共に花をつけ、種子を残そうとしている。なんとけなげな花だろう。思わずしゃがみ、考えこんでしまった。
養分と水分は十分だけれど、陽の光の不足する植物と、陽の光は十分だけれど、養分や水分の不足しがちな植物と、一体どちらが幸せなのだろうか。いや、どちらが幸せかと考えることがおかしいのではないか。
養分と水分と陽光が十分であれば、それにこしたことはない。しかし、すべてが得られるとは限らない。人間もまた、同じことが言えるような気がする。
昭和天皇が生前、「雑草という草はない。それぞれに名前があり、よく見れば、みんな違う」とおっしゃった。このお言葉は、我々に「障害児という子供はいない。それぞれに名前があり、よく見れば、みんな違う。」とおっしゃっておられるような気がしてならない。
ひとりひとりを大切にする、ひとりひとりの能力を伸ばすことが「教育の原点」と言われるならば、まずそのひとりひとりのちがいをしっかり受けとめることからはじめなければならないのだとあらためて思う。
この4月、特殊教育センター所長を拝命し、責任の重さをひしひしと感じる日々である。皆様のご指導ご協力を賜りながら、職員一同、心を一つにして任務を遂行したいと願っている。 |
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