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ヒッグス アラン氏 地方参政権最高裁判決

平成六年(行ッ)第六五号 

                         判決

大阪府池田市上池田一丁目八番一五-三○五号          

            上  告  人        ヒッグス・アラン            

            右訴訟代理人弁護士      美並   昌雄 

                           後藤   貞人                                              氏家   都子                          

小林   二郎                          

浅野   博史                          

高野   裏雄   

大阪府池田市城南一丁目一番一号          

 被上告人         池田市選挙管理委員会           

右代表者委員長      長橋次郎           

右指定代理人       喜多閣久 

右当事者間の大阪地方裁判所平成三年(行ウ)第二七号選挙人名簿不登録処分に対する異議の申出却下決定取消講求事件について、同裁判所が平成六年一月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部被棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。                

主    文  

                  

本件上告を棄却する。           

上告貴用は上告人の負但とする。              

 理    由 

上告代理人美並昌雄、同後藤貞人、同氏家都子、同小林二郎、同浅野博史、同高野嘉雄の上告理由について 日本国民たる住民に限り地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有するものとした地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項が憲法一五条一項、九三条二項に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年 (オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三○三七頁、最高裁昭和三七年(あ)第九○○号同三八年三月二七日判決・刑集一七巻二号一二一頁、最高裁昭和五○年(行ツ)第一二○号同五三年一○月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁等)の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成五年(行ツ)第一六三号同七年二月二八日第三小法廷判決・民集四九巻二号登載予定参照)。地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項についてその余の違憲をいう部分は、実質において憲法一五条一項、九三条二項違反をいうに帰するものであるところ、右主張に理由のないことは、既に述べたとおりである。以上によれば、所詮の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四○一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(平成六年(行ツ)第六五号         上告人ヒツグス・アラン) 

 上告代理人美並昌雄、同後藤貞人、同氏家都子、同小林二郎、同浅野博史、同高野嘉雄の上告理由第一 原判決について一、原判決は、・国民主権における「国民」とは、憲法一○条を受けて制定 された国籍法に基づき日本国籍を有する国民であり、外国人を含まないこ とは明らかである。・参政権は、国家の主権と不可分の関係にあるから、 外国人に保障されないことは当然である。・憲法九三条二項の「住民」も 憲法一五条一項の「国民」と同一の概念に基づくものであり、日本国籍を 有するものに限られる。・従って、地方公共団体の議会の議員及び長の選 挙権を日本国民に限る公職選挙法九条二項、地方自治法一一条、一八条の 各規定は憲法一五条一項、一四条一項、九二条、九三条二項に違反しない ことは明らかである、として上告人の請求を棄却した。二、右原判決に対する上告理由の要旨は次のとおりである。

1・憲法解釈の誤り  後述するとおり、国民主権における国民、憲法一五条一項の参政権を 保障された国民及び憲法九三条二項における住民の範囲・要件ば憲法解 釈ないし憲法理論上、客観的に定まるものであるが、日本国籍を有する 者に限られず、上告人ら定住外国人も含まれる。従って、地方自治体の 議員及び長の選挙権を有する者を日本国籍を有する者に限り、日本国籍 を有しない者には選挙権を認めない公職選挙法第土九条二項、地方自治法 一一条、一八条は憲法一五条一項、一四条一項、九二条、九三条二項に 違反しないとした原判決は憲法の解釈を誤ったものであり、破棄を免れ ない。

2・理由不備・理由齟齬の違法  更に、本件訴訟は「外国人の選挙権」を問題とし、国民主権、選挙権 といった憲法−民主主義の根本原理、基本的人権が争点となっている のであるから、より実質的で慎重な審理、判断をすることが裁判所の任 務として要求される。しかるに、原判決は、国民主権等の本質に踏み込 むことなく、上告人の主張立証について何ら実質的な判断をせずに短絡 的かつ形式的に公職選挙法第九条二項、地方自治法一一条、一八条は憲 法に違反しない旨の結論を導き出しており、理由不備、審理不尽の違法 があることは明らかであり被棄は免れない。第二、上告人の主張の整理  上告人は原審において地方自治体の議会の議員、長の選挙権を有する者 を日本国民すなわち日本国籍を有するものに限り、日本国籍を有しない者 には選挙権を認めない公職選挙法第九条二項、地方自治法一一条、一八条 は、憲法第一五条一項、第一四条一項、九二条、九三条二項に違反する旨 主張してきたが、右主張を左記の通り整理する。  なお、上告人は基本的に国政レベルと地方レベルを区別せず、国民及び 住民の概念は同じであり、いずれも日本国籍を有する者に限られず、国家 の政治的決定に従わざるを得ない者すはわち「社会の構成員」である者に は参政権が与えられるべきであるという立場に立脚している。

一、外国人の人権  憲法上の基本的人権の保障が外国人にも及ぷかについては、憲法の保障 する権利の性質によって外国人にも適用されるか否かを区別するとする権 利性質説が通説・判例であり、原判決もその旨判示している。しかし、自 然権思想に立脚して人権を厚く保障し、国際主義を強く謳う憲法の精神及 ぴ国家という枠を乗り越えて特に強く外国人の人権、内外人平等の思想が 主張されている現代杜会においては、むしろ基本的人権の保障は等しく外 国人にも及ぷとするのが原則とすべきである。更に外国人にも様々な類型 (日本社会における生活実態)があるということを考慮にいれた上で、も しある人権が日本人とは区別して外国人には制約されるとするならぱ、如 何なる合理的理由により如何なる程度制約されるのか個別具体的に検計す ることが必要である。

二、外国人に対する選挙権の保障 l。以上を前提として、選挙権が外国人にも保障されるか検討するに、原 判決は「憲法一五条一項は、公務員を選定し、これを罷免することは国 民固有の権利であるとしている。そして、国家は国民によって構成され る団体であり、主権が国民に存するという以上、ここに「国民」とは、 国家の構成員としての国民すなわち、憲法一○条を受けて制定された国 籍法に基づき日本国籍を有する国民であることを当然の前提としている というべきであり、外国人を含まないことは明らかである」と判示して いる。  しかしながら、何故憲法における「国民」が、憲法の下位法である国 籍法によって決められた人為的な要素である国籍を有する者を指し、外 国人を含まないことを当然の前提としているのか何ら明らかではない。 あくまで憲法の解釈として国民主権における国民とば何かを結論付 けるべきである。 2・まず憲法一五条が「国民」と規定していることについては、憲法自体、 第三章が「国民の権利及び義務」との表題にもかかわらず、「外国人の 人権が問題とされ、又、憲法第三章の個々の規規も、そこでいう「国 民」が日本国籍保持者の意味でないことは通説判例である。  又法律上の用法においても「国民」は必ずしも常に国籍保持者を意味 するとは限らない。例えば、行政不服審査法一条は「国民の権利の救済 を図ることを目的とする」と定めているが、この法律に基づく審査講求 などなしうる者は「違法又は不当な行政処分によって、直接に自己の権 利又は利益を侵害された者」であり、「国籍・性・年齢のいかんを問わ ない」とされている。  又、大気汚染防止法第一条は「国民の健康を保護する」とされている が、この場合の「国民」も日本国籍保持者に限っていないし、国民年金 法は、国籍要件撤廃後も依然として「国民年金法」と称している。 かように法律上の用語としての「国民」は日本国籍保持者を意味する 場合もあれぱ、広く日本の統治椿に服する者、日本に住む者を意味する 場合もある。従って、憲法でも法律でも「国民」と規定されているのみ で、その「国民」が国籍保持者のことであり、外国人を含まないと一義 的に決定することはできない。  このことは「国民主権」においても同様で、「国民」が国籍保持者で 当然外国人を含まないと断定できないことを意味する。

3・国民主権の意義−国籍との関係について  ところで、「国民主権」という原理は、そもそもは、絶対王政の権力 を支えた「君主主権」論に対する対抗概念として登場したものである。 それは、「君主」でなく「国民」が主権者であるとする原理であり、そ こでの「国民」は、君主及び封建的特権層以外の非特権層を総称するも のであった。  すなわち、国籍保持者の「国民」ではなかったことは明白である。つ まり、「国民主権」のそもそもの趣旨は、「国籍を持つ者が主権者であ る」ということでなく、「国民」とは異質な「国民」のうえに立つ権成 による支配を排除するという趣旨であり、イデオロギー的には治者と被 治者の同質性である。  「国籍」という概念自体、近代市民革命後の「国民主権」原埋に基づ く統治機構のもとで重要な意味をもつにいたったものであり、まさに、 参政権を行使しうる者の範囲を確定する前提として「国籍」の明確化が 必要とされたのである。すなわち、「国民主権」の原埋の前に「国籍」 が確定されていたのではなく、主権者たりうる者に「国籍」が付与され たのである。  そして、一八世紀末から一九世紀初頭のョーロッパにおける民族主義 は、封建杜会を支えた地縁的なつながりより「民族」たる血縁的つなが りを重視する血統主義の国籍法を生み、移民社会のアメリカでは出生地 主義が採用されることになった。  この様な「国籍」概念そのものの沿革からいえぱ、「国民主権」と「 国籍」の概念とは、不可分の関係にあっても、国籍が国民主権の内容を 規定したのでなく、国民主権が国籍の内容を規定したのである。  従って、「国民主権」原理を「国籍をもつ者」による権力の正当化原 理ととらえる場合は、その「国籍をもつ者」は主権者たるべき者と同一 である前提がある場合のみ、権力は正当化される。すなわち、主権者た るぺき者の中に「国籍をもつ者」以外の者がある場合、「国民主権」の 国民を「国籍保持者」に限定することは誤りであることを意味するので ある。

4・主権者の範囲  では、如何なる範囲の者が主権者かは、「国民主権の実質」から判断 される。国民主権は、「国民意思」に基づくことによって正当化される のであり、民主主義と同義のものとしてその実質が与えられる。民主主 義とは、人民による自己統治で、自己の政治的決定に自己が従うという ことであり、政治的決定に従う者は当然、その決定に参加する権利を有 するということである。「国民主権」の実質が民主主義と同義であると すれぱ、そこでの主権者は、その政治社会における政治的決定に従わざ るを得ない者といわなければならない。それらの者は、その政治社会を 構成するすべての人であり、それらの人々すべてにその国の「国籍」が 付与される場合は「国民主権」の国民は「国籍保持者」に限定される。  しかし、政治社会を構成している人で、しかもその社会における政治 決定に従わざるを得ない者で、「国籍」を保持していない者は、「国籍」 がなくとも政治的決定に参加する権利-参政権を有する。  以上により、「国民主権」の原理からは「国籍保持者」のみに参政権 を保障する結論が導き得ないことが明自となった。三、民主主義杜会における選挙権の意義について  選挙権は、憲法上保障された基本的人権であり、このことは、判例(直 接には立候補の自由について)も認めるところである(一九八六・一二・ 四刑集二二・一三・一四二五)。  ところで、国民主権の下における主権の主体は、観念的抽象的存在とし ての「国民」であるから、その「国民」は自己の意思を決定し、それを実 現するため「代表機関」を必要とする。そして、社会構成員たる「国民」 が、代表制を通じて政治的意思決定に参加し、国民と代表者との意思の同 一性を図ることが民主主義の基礎である。そして、国民が政治的決定に参 加する形態、即ち参政権の一つが「選挙権」である。  国民が政治に参加する形態としては、選挙権以外にも、講願権や住民・ 市民運動(表現の自由)など多様なものがある。国民はこのような政治参 加を通して、自己の意思を伝達し、政府の行動に圧力をかけ、政府の決定 をコントロールする。かような国民の政治参加において、選挙権は最も多 くの国民が参加する政治活動である。そして、選挙は常時行われているわ けではなく、一定のスケジュールにそって定期的に行われているにすぎな いから、国民が国民の意思を政策決定者に伝達する手段として必ずしも万  全の手段ではないけれども、他の政治参加の形態と異なり、政策決定者に 圧倒的なインパクトを与える。  
 又、他の政治参加の形態においては、時には自らの積極的かつ自発的な 行動が必要とされ、能力的、精神的、かつ経済的な面において、高いコス トを払わねばならない場合がある。それに引き換え、選挙権の行使は、原 則として選挙日に一定の場所に出向き、投票という行動のみをすれば足りる。そして、投票の秘密は保障される。更に、結果の重大性という点にお いても、投票の結果において政策が決定されれば、その政策は、政策に反 対した人も、選挙権を持たない人もすべての人を拘束するのである。正に 民主主義が自己の決定に自己が従うという自己統治の原理であるとすれば、 政策決定に従わざるを得ない人々は、当然政策決定に参加できると解さな ければならない。

四、外国人と参政権について 1・外国人の基本的人権の保障については、先述したごとく、等しく外国 人にも及ぷとした上で、外国人の様々な類型を考慮にいれ、如何なる人 権がどの程度保障されるかを具体的に明らかにすることが問われている 時代に移行したと言われている。そして、当該外国人に人権を保障すべ きかとうかの判断の決め手は、日本杜会における生活の実態が基本的人 権を保障されるべき生活実態を持っているかどうかによるべきである。

2。定住外国人と参政権  日本に在留する外国人の類型には、一時的に観光旅行のために滞在す る者(一時滞在者)、仕事のため一定期問在留する者(短期滞在者)、 日本に本拠をおく者、日本に本拠をおき永住する意思のない者、日本に 本拠をおき永住する意思のある者、永住許可を受けた者等がある。  ところで「定住外国人」の内容は法令上定まっているものではなく、 一般的な理解では「日本の杜会に生活の本拠をもち、その生活実態にお いて自己の国籍をも含む他のいかなる国にもまして日本と深く結びつい ており、その点では日本に居住する日本国民と同等の立場にあるが、日 本国籍を有しない者」とされている。 「定住外国人」には上告人のごとき永住許可をうけたものは当然含まれるが、それ以外日本に常居所を有する外国人も含む広い範囲の外国人である。  
 ところで、前述したごとく、社会の構成員として日本の政治杜会にお ける政治決定に従わざるを得ない者は、民主主義の原則により自己決定権、その手段としての参政権を有するが、「定住外国人」が日本の政治 社会に規ける政治決定に従わざるを得ない者であることは、その生活実 態が日本国民と同一である以上自明のことである。  そして、上告人が「定住外国人」に該当することは永住許可を受けていることから明自である。五、定住外国人と地方官治体における選挙権  上告人は先述したごとく国政レベルと地方自治体レベルを区別しない見 解をとっているが、とりわけ、地方自治体においては定住外国人に選挙権 を付与すべき根拠が大であると考える。  すなわち、第一に地方自治体レベルにおいては「地方自治の本旨」とい う観点から検討しなけれぱならない。憲法九二条に規定する「地方自治の 本旨」の中心をなす「住民自治」を実現するためには、定住外国人を含む 地域の構成員(住民)に選挙権を付与する必要がある。住民は地方自治体 の主権者として選挙権を行使すると共に、他方、地方自治体は住民の生活 に密着した業務を行う。そして、住民はその地域杜会の構成員として定住し、地方自治体からサービスを受けると共に労働と納税を通してその地域 杜会の維持・発展に奇与しているという実態からすれば、地域社会の構成 員=住民と地方自治体との関係は国家に比してより緊密であり、地方自治体レベルの場合にはなおさら住民が国籍保持者であることに限定する根拠 は薄弱であると言わざるを得ない。 更に、地方自治体の議員数は選挙区の人口で決せられるのであるが、そこには当然「定住外国人」も含まれるのである。なお、地方自治法一○条 一項においても「市町村の区域内に住所を有する者は当該市町村及びこれ を包括する都道府県の住民とする」として、外国人も地方自治体の住民と 認めている。地方自治体の住民として納税等の義務を課す以上、選挙権を 認めるべきであり、広く杜会構成員としての住民に選挙権を付与すること が住民自自治=地方自治の本旨に合致するのである。
 第二に憲法上「国民」とされていても、文字どおり国民=国籍保持者と解すべきではないことは先述したとおりである。しかしながら、憲法九三 条二項、九五条は地方自治体における選挙権については「国民」ではなく、「住民」と規定しており、これは国籍によるのではなく、その地方自治体を構成している者、すなわち、地方自治体の区域内に生活の本拠を有し、 定住している者に選挙権を付与することが地方自治の本旨に合致するとの 趣旨を如実に表したものである。  
 第三に一般市民、労働者の国際的交流、移動が頻繁になり、外国人が外 国社会の住民として定住する傾向が増大し、更に外国人の人権保障意識が 高揚している現在杜会において、次に述べるとおり、少なくとも地方自治体レベルにおいては、外国人の選挙権を認めることが世界的趨勢であり、我が国においてもこれを認めることが憲法の人権尊重、国際協調主義の精神に合致するというべきである。

六、定住外国人の参政権保障の国際的拡がり

l‐ 生産手段、生産力の量的質的向上に伴い資本力は国境を越えて膨張を 続け、その結果、資本が要請する労働力はますます需要を拡大し、労働力を一国内に留めておくことなく、加えて交通手段の飛躍的発展は国と国の垣根を取り陰く奔流の如く労働者や一般市民の世界的交流移動を可能とさせる時代を迎え、その結果、各国とくにョーロッパ先進国を中心 に、外国人が国内び住民としで定住する預向が顕著となってきた。それ にともない、これらの国々においては、従来のような国籍を要件とする 「国民」概念による外国人ヘの対応では多数の定住外国人の権利保障に充分ではなく、場合によっては大きな社会問題を惹起しかねない状況に直面せざるをえなくなったのである。  定住外国人と居住する国とを結びつけるものは、国によって便宣的に作られた擬制的概念である「国籍」ではなく、当該国の領域内に居住し、特定の杜会共同体の一員として生活しているという実態にほかならない。 であるならぱ、外国人であっても当該杜会共同体に参加し、当該国民と なんら変わらない社会的存在となっているその人自身が、人として当該 国民と同じ権利を有すぺきことを主張することはなんら不合理なことで はない。それどころか、実質的に杜会共同体を構成し、その向上発展に 寄与しているにもかかわらず、その人が外国人であるというだけの理由から共同体共通の利益から排除されるとすれぱ、その不当性は明らかなことである。 従ってそこに居住し地域社会の構成員としての地位を有している外国人にも、その社会における政治に参画する権利を付与することは、民主主義の原理、参政権の歴史的沿革を鑑みれば当然のこととして首肯しうるところである。外国人の人権に関するかような考え方が世界的な潮流としてあることを否めず、外国、特にヨーロッパ各国を中心にして外国人居住者に対し自治体の参政権を与える事例が年々増加の償向にあるのはこのような趨勢の表れ以外のなにものでもない。

2・諸外国の例(一)スウェーデン  スウェーデンにおいては、一九七五年一二月の選挙法及び市町村法 等の選挙関係規定の改正により、翌一九七六年九月の選挙から、スウ工−デン在住の外国人にも地方議会選挙(コミューン議会選挙、県議 会選挙)での選掌権、被選挙権及び国民投票(レファレンサム)ヘの参加権が与えられることになった。選挙資格は、・年齢が一八才以上であること、・選挙前の三年間スウェーデン国内で生活していたこと、である。 このように、外国人にも選挙権を付与するという選挙改革が行われた背景には、スウェーデンにおける外国人の大量流入という実態がある。すなわち、スウェーデンにおいては、第二次世界大戦後、膨大な外国人が流入し、一九八○年頃には、六○万余となり、人口の七・六 %を占めるようになった。そして、かような外国人は、多年にわたって、スウェーデン繋栄の貴重な労働力となり、スウェーデン国民と同様の納税義務を負いながら、政治には参加できないという伏況におかれていたのである。かような状況を背景にして、スウェーデン政府は「スウェーデン在 住の外国人もスウェーデン国民と同じ生活水準を保障されなければならない」という基本的姿勢の下に外国人を保護する様々な政策を実施 し、選挙改革もその延長上にある一施策として位置づけられるべきも のである。
(2)デンマーク  一九八一年三月に三年以上居住の外国人に地方自治体レベルの選挙 権、被選挙権が付与された。
(3)オランダ  一九八三年六月の憲法改正によって地方自治体レベルの選挙権、被 選挙権を外国人にも付与しうるとされた。
(4)アイルランド  六ケ月の居住を要件に地方自治体レベルの選挙権、被選挙格が付与 されている。
(5)スイスノイプルク州では一年以上同一市町村での居住を要件に、ユラ州で は一○年以上の州内居住を要件に地方自治体レベルの選挙権、被選挙 権が認められている。
(6)スペイン  一九七八年制定されたスペイン憲法は地方自治体レベルにおける外 国人の選挙権を保障した。
(7)ノルウェー  三年以上居住する一八才以上の外国人に地方自治体レベルの選挙権、 被選挙権を付与している

3、ドイツについて  シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州では、同州居住の外国人のうち、 自国に在留するドイツ人にも自治体選挙ヘの参加を認めている欧州の 六力国(デンマーク、アイルランド、ノルウェー、スウェーデン、オランダ及びスイ入)の国籍を有し五年以上ドイツに居住する外国人に、 同州の市町付及び郡の選挙に参加する権利を保障した選挙法改正法が、 一九八九年二月、州議会で成立し、同改正選挙法に基づく自治体選挙 が一九九○年三月に行われる予定であった。ハンプルク州でも、八年以上ドイツに居住する外国人に国籍を問わず区議会議員の選挙に参加する権利を保障した選挙法改正法が、同じく一九八九年二月、州議会で成立した。(2)これに対し、一九八九年六月二一日、連邦議会の与党キリスト教民 主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)の議員が、外国人の自治体選挙権を認めた両州の法律は基本法の国民主権条項(第二○ 条、第二八条)に違反するものであるとして、その違憲無効を宣言す る判決を求めて違邦憲法裁骨所に違憲審査の申立てを行い、同裁判所 はドイツ統一直後の一九九○年一○月三一日、前記両州の選挙法は無 効であるとして結論的に外国人の自治体選挙権を認めなかった。
(3)しかし、右判決は極めて政治的なものであり、かつ、今日ドイツが 抱える問題を背景にして論じられるべきものである。 ・ 政治的に見れば、前記両州の議会と政府は、連邦レベルでは野党である社会民主党(SPD)が主導権を有し、外国人の自治体選挙権もSPDにより導入された。他方、違憲審査を求めたのは遵邦議会の与党キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(C   SU)であった。これは、CDUらが、SPDが自治体レベルでの  外国人選挙権を実現した後、州議会、連邦議会ヘと拡大することを 虞れたためである。 ・ 経済的にみれば、ドイツでの失業問題である。ドイツでは統一前 既に四○○万以上の外国人が居住しており、経済的には定住外国人を無視し得なくなったところ、逆に不況になるとドイツ人自身の失業率が高まって来た。そのため一部にはネオナチズムが台頭し、ドイツ人による外国人の襲撃事件も起きている。 さらに、東ドイツの統一により、旧西ドイツに多量の旧東ドイツ人が移住し、そのことが旧西ドイツ人の失業をもたらし、その不満が弱者たる定住外国人に向けられているのである。 ・ すなわち、今日のドイツは、思想的に保守化し、ナチスを生んだドイツ民族主義が密かに浸透しはじめ、経済的には、外国人労働者ヘの嫌悪と恐怖心が充満している。このことが、ドイツ連邦憲法裁 判所の八名の裁判官をして違憲の判決を出さしめた真の原因である。 いわば、特殊ドイツでの状況のもとで、定住外国人に対する人権保障という世界の流れに悼さす、徒花というべきものであり、同判決は参考にされるべきでない。 しかも、右判決は、ドイツが加盟するヨーロッパ協同体(EC)がEC加盟国民の滞在国における自治体選挙権の実現を目標とし、その実現の暁には、変更されるべきものであると評されており、いわば一時的な線香花火的判決にすぎない。つまり、ドイツ民族主義も世界の流れにいつまでも逆らえるもの ではないのである。

七、在日韓国・朝鮮人等と選挙権

l‐ 在日韓国朝蜂人の多くは親の代が既に日本で生活しており、その両親から出生し、出生以後その大多数の人々の生活は日本人と何ら異なるところはない。自治体から義務教育の就学通知をうけて小中学校は無償とされ、ある者は日本人と共に高等学校、各種専門学校、大学等の教育機関に通い、教育・訓練を受け、各種公務員の就職の道も開かれ、医師、弁護士、税理 士等の専門職の貧格取得も認められている。そして、彼らは日本人と共に働き、持続的に日本の杜会において経済活動に参加して、日本人とほぼ同等の扱いを受けている。更に、各種納税義務の負担に任 じているのはいうまでもなく、国民健康保倹、国民年金制度等の各種福祉制度についても日本人上同様の取り扱いがなされでいる。 また、彼らは、居住している地域において自治会等をはじめとして地域杜会の生活、活動等に根をおろし溶け込んでいる。彼等が使用する言語は日本語であり、日常生活様式も日本人と異なることはない。このような実情にある彼等が、日本杜会を構成する一員として日本人と同等の権利を主張することぱ人問として当然の権利である。にもかかわらず、これら在日斡国朝鮮人の人々に対して民主主義の根幹である選挙権を付 与しないことがいかに不合理であるかは明らかである。「国籍」という 国家が定めた制度によって彼等の基本的人権が制約されるいわれは全くない。

2・ そうであれば、更に一歩進めて、在日韓国朝群人と言わず、日本国における生活実態が彼等と同様の外国人、即ち、上告人のように日本国内における滞在が長期に亘り、かつ生活の本拠が日本国内にあると許価しうる、いわゆる定住外国人に対しても選挙権を付与すべきであることは憲法の国際主義、基本的人権専重の趣旨からして当然あるべき姿というべきである。

八、新しい流れ

l‐ 以上、定住外国人に対して参政権を認めるべきことは理論上及び実際上も明らかになったが、今日の日本社会の変化から更に実際上、外国人にも選掌権を認めなければ著しい不公平が生じる事態が発生している。すなわち、政治改革関違法において「政党への公費助成」が認められたが、右法は国が税金を通じて政党ヘの助成金を負担するものである。もし、納税義務を負担している者が、その納税を通じて政党ヘの助成をしているにも関わらず参政権がないとするならば、著しい不公平かつ矛盾であることは自明のことであろう。 ところが、上告人ら定住外国人は日本人と同様に納税義務を負担しているが、国家は今までは外国人の納税義務は当該外国人が日本において社会的公的扶助を受ける対価である等と言い逃れをしてきた。しかし、政党ヘの助成金負担という具体的な問題はかかる言い逃れを不可能にしたものである。

2・ 更に最近は、地方自治体において、定任外国人の参政権を積極的に認める動きが生じてきた。すなわち古、一九九三年九月九日、大阪府岸和田市議会は「定住外国人に対する地方選挙ヘの参政権など、人権保障の確立に関する要望」を決 議した。その内容は「人権の保障は、世界平和と安全につながるもので あり、日本国民の願いである。人権の国際化が叫ばれ、内外人平等をうたった国際人権規約など国際法の批准により、定住外国人の待遇は徐々に改善されている。しかし、生来的にすでに地域の構成員となり納税義務を負っているにもかかわらず、杜会保障制度や選挙権などについては、日本国民と同等になっていないのが現状である。よって、本市議会は政府に対し、定住外国人に対する社会保障制度や地方選挙ヘの参政権など、人権保障の確立を強く要望する」というものである。  
 かような決議は一九九囲年三月三一日現在、全国三二の議会に広がっており、更に拡大しつつある。 以上のごとく、少なくとも地方自治体の選挙権は理論の問題のみならず、実際上も現時の解決すべき課題となっていることは明らかである。九、公職選挙法の違憲性について  以上より、「選挙権を有する者は日本国籍保持者に限定されない」ことは明自である。よって、国籍要件を設けた公職選挙法九条二項、地方 自治法一一条、一八条は憲法一五条一項、一四条一項、九二条、九三条 二項に違反しないとした原判決は憲法の解釈を謀ったものであり、破棄されるべきである。

                               以上

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