年表・定住外国人の地方参政権問題に関する経緯
作成  denizenship
1925年
1925年
普通選挙法制定
1945年
1945年4月
衆議院議員選挙法の改正
1945年8月15日
日本敗戦
植民地支配に終止符
1945年10月23日
衆院選挙制度改正要綱の閣議決定
「内地在住の朝鮮人・台湾人も選挙権・被選挙権を有するものなること」
1945年12月17日
衆議院議員選挙法(法律第42号)改正
在日朝鮮人の選挙権及び被選挙権が停止される。付則に「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権および被選挙権は、当分の内これを停止す」
1946年
1946年4月
戦後初の総選挙
この選挙から在日朝鮮人は参政権を失う
1946年11月5日
朝鮮人の地位及び取り扱いに関する総指令部渉外局発表
「正当に設立された朝鮮政府が、彼らに対して朝鮮国民として承認するまで、その日本国籍を保持すると見なされる」
1947年
1947年2月24日
参議院議員選挙法(法律第11号)
1947年3月1日
在日朝鮮人連盟(朝連)、3・1記念式典「在留朝鮮同胞に選挙権および被選挙権付与の要求」決議
1947年4月17日
地方自治法(法律第67号)
1947年5月3日
日本国憲法施行
施行の前日、外国人登録令が公布・施行され、在日朝鮮人は日本国籍を有したまま外国人として管理されることになる
1949年
1949年4月28日
最高裁判所事務総長より参議院法制局あて回答
「終戦時から引き続き日本に在住する朝鮮人は従前通り日本国籍を有するものとして取り扱うほかはない」
1950年
1950年4月15日
公職選挙法(法律第100号)公布
付則に「戸籍法の適用を受けないものの選挙権及び被選挙権は、当分の内、これを停止する」
1952年
1952年4月19日
法務省民事局長通達による日本国籍の剥奪
「(平和)条約発効の日から…朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本国籍を喪失する」
1952年4月28日
サンフランシスコ講和条約発効
同日、外国人登録法施行、指紋押捺制度導入
1965年 †
1965年6月
日韓地位協定締結、「協定永住」制度発足
1975年 †
1975年9月1日
崔昌華牧師ら5人、北九州市長あて公開質問状提出
市議の選挙権、披選挙権が認められるべき
1976年
1976年9月1日
崔昌華牧師ら5人、福岡県知事あて公開質問状提出
県議の選挙権、被選挙権が認められるべき
1976年9月19日
ヤンソン柳沢由美子氏、朝日新聞に「外国人にも選挙権を、スウェーデンの英断に学べ」を寄稿(1976年9月19日「朝日新聞」)
1978年
1978年9月1日
在日韓国人・朝鮮人の人権獲得闘争連合会(崔昌華牧師ら21人)、総理大臣・福田赳夫あて公開質問状提出
国会議員の選挙権、被選挙権が認められるべき
1979年
1979年9月21日
国際人権規約の批准・発効
同規約B規約(市民的、政治的権利に関する国際規約)第25条〔参政権〕
「すべての市民は第2条に規定するいかなる差別もなく、かつ、不合理な制限もなしに、次のことを行う権利及び機会を有する。(b)普通かつ平等の選挙権に基づき秘密投票により行われ、選挙人の意思の自由な表明を保持する真正な定期的選挙において、投票し、及び選挙されること」
1979年10月2日
金達寿氏、朝日新聞に「在日外国人に投票権を」を寄稿(1979年10月2日「朝日新聞」)
1982年
1982年1月1日
難民条約への加盟、発効
1983年
1983年6月10日
政治学者、白鳥令氏、朝日新聞に「投票できぬ人への配慮を」を寄稿(1983年6月10日「朝日新聞」)
1986年
1986年3月
民団(在日本大韓民国居留民団、当時)第36回中央委員会
選挙権獲得運動推進を決議
1986年10月31日
民団大阪、茨木市長あて「在日韓国人の権益擁護のための要望書」提出
要望6項目の1「地方参政権を付与すること」
1987年
1987年6月
民団中央本部 全国各自治体あて「在日韓国人の権益に関する要望書(第6次)」提出
6項目の1「地方自治の選挙への参与」
1987年9月
外国人登録法改正
外国人登録証の切り替えの度に求められた指紋押捺が初回のみに
1987年11月21日〜23日
民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)第13回全国交流集会岡山大会で「定住外国人に対する差別撤廃及び人権保障に関する提言」
地方自治体の選挙権、被選挙権の保障
1987年12月15日
東京都日野市長・森田喜美男、総理大臣あて「外国人登録法等抜本改正に関する要望」提出
要望項目の中に「地方自治体における外国籍住民の参政権を実現すること」(外登法改正要望の関連)が入る
1988年
1988年10月2日
民闘連第95回全国代表者会議、「在日旧植民地出身者に関する戦後補償およぴ人権保障法(案)」を提起
「第10条 特別永住権者は地方自治体の参政権を有する」
1988年11月4日
日本弁護士連合会第31回人権擁護大会シンポジウム(神戸)
提言3「少なくとも126(旧植民地出身者)系列者を含めた長期滞在者に対して自治体における被選挙権や選挙権の付与も検討されるべきであろう」
1989年
1989年11月17日
ヒッグス・アラン氏(大阪在住イギリス国籍)国賠請求提訴(大阪地裁)
参議院選に投票できなかったための損害
1990年
1990年9月14日
金正圭氏ら11人「人としての稚利を主張する会」(大阪市)選挙人名簿不登録処分異議申立却下決定取消請求を提訴(大阪地裁)
不登録へ異議申立したが却下された件
1991年
1991年1月10日
「日韓覚書」(在日韓国人法的地位待遇の日韓覚書)
「なお、地方自治体選挙権については大韓民国政府より要望が表明された」
1991年4月22日
ヒッグス・アラン氏、選挙人名簿不登録処分取消請求提訴(大阪地裁)
91年4統一地方選(市議選)で選挙人名簿不登録に対して異議申立したが却下処分された件
1991年5月2日
李鎮哲氏ら4人(福井)、選挙人名簿不登録違法確認請求提訴(福井地裁)
選挙人名薄に登録されていないことが違法であるとの確認
1992年
1992年
外国人登録法改正
永住者の指紋押捺が廃止
1992年6月1日
李英和代表(大阪)「在日外国人参政権”92”」(在日党)、設立届出
1992年6月4日
李英和代表(大阪府高槻市)「在日外国人参政権"92"」(在日党)、中央選管に参議院選比例区の名簿提出、受付拒否
1992年7月8日
参議院選大阪選挙区・95年3月23日大阪府知事選・95年3月31日大阪府議選、いずれも受付拒否
1993年
1993年2月18日
李英和氏ら「在日党」国賠請求提訴(大阪地裁)
92年7月8参議院選地方区に立候補届を出したが拒否されたことへの損害
1993年5月29日
在日韓国青年商工人連合会(青商連合会会)
シンポジウム青商ビジョン21で、地方参政権を民団系団体として初めて公の場で議論
1993年9月9日
大阪府岸和田市議会政府あて「定住外国人に対する地方選挙への参政権など人権保障の確立に関する要望決議」全会一致可決
以降、地方議会での要望、意見書採択広がる
1994年
1994年1月7日
新党さきがけ島根支部、外国人入党を認める
5年以上在住もしくは日本人配偶者で2年以上
1994年2月27日
新生党愛知県連、外国人入党を認める規約改正
1994年3月18日
公明党中執委、外国人入党を確認
1994年5月21日
青商連合会シンポジウム青商ビジョン21、「在日同胞と地方参政権」のテーマで議論
以後青商は本格的に運動に取り組む
1994年5月27日〜29日
社会党中央委、「当面の方針案」に外国人の入党と地方参政権を求める
1994年6月14日
日本新党岡山、外国人の入党と地方参政権の要求
1994年10月13日
新・新党(旧連立)準備会実行委、「会友」に外国人の参加認める
1994年11月12日
新党さきがけ島根、「外国人地方参政権法案要綱」発表
5年以上在住の外国人への地方参政権開放を提言
1995年
1995年1月30日
新進党「定住外国人の地方参政権推進委員会」(中野寛成委員長)設置
1995年2月28日
金正圭氏ら訴訟の最高裁判決
憲法上許容、「立法政策にかかわる事柄」と言及
1995年3月7日
村山首相(参議院予算委員会)、最高裁判決について前向きに幅広く議論していく必要があるとの認識を示す
1995年3月10日
青商連合会-定住外国人の地方参政権問題での国会議員アンケートを行い、一次集計の結果を発表
衆参両院759議員の315人が回答(42%)、結果:「参政潅があって良い」(88%)-(a)、「いまはだめだが、将来はよい」(5%)、「反対」(3%)、(a)の内「被選挙権も含まれる」(55%)、「選挙権だけ」(34%)
1995年3月17日
野中自治相、閣議後の記者会見で、「『永住』の範囲をどこまでとするかそれによってどういう問題が生じるかなど自治省としても独自の検討をしなければならない」と表明
1995年3月19日
読売新聞(朝刊)、「活発化する参政権論議、自民党を除き各党前向き、各論は濃淡」
1995年3月30日
定住外国人の地方参政権を求める連絡協議会結成
定住外国人の地方参政権に関する基本的考え方(共同案)の作成
1995年4月7日
「大阪100人訴訟」、洪仁成氏(原告団長)ら大阪府内に住む118人の在日韓国・朝鮮人が提訴(大阪地裁)
最高裁判決後、定住外国人に地方参政権を保障するための立法措置をとらない国の姿勢が憲法に違反していることの確認を求める
1996年
1996年4月25日
在日本朝鮮人総聯合会(総聯)、社民党へ「参政権反対」要望
1998年
1998年5月6日
在外邦人の投票を認める公選法改正
1998年10月8日
金大中韓国大統領訪日
首相会談、国会演説で「在日韓国人の参政権」要請
1998年10月16日
民主・平和改革(衆・公明)共同で衆院に提出(議員立法)
定住外国人に対する地方公共団体の議会及び長の選挙権の付与に関する法律(案)
1998年10月23日
西田司自治相、民団の法制化要望に、「真剣に検討したい」
1998年11月27日
臨時国会召集
1998年12月8日
日本共産党衆院に提出(議員立法)
永住外国人に対する地方公共団体の議員及び長の選挙権及び被選挙権に関する法律(案)
地方参政権というなら、選挙権と被選挙権は一体のもので選挙権だけに限定する理由はない(98年11月18日「赤旗」)
1998年11月30日
神崎武法公明党代表、衆院代表質問で、「在日韓国人を中心とする永住外国人の要求実現に最善を尽くすべきだ」
1999年
1999年1月1日
自民・自由連立内閣発足(自由党より野田毅自治相入閣1人)
1999年2月16日
広島弁護士会、定住外国人に参政権立法措置を要求する声明
1999年3月4日
衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会で、外国人地方参政権法案の検討を始めることに合意(民主・平和改革と共産党を近く取り上げ議論を行う方針)
1999年3月20日
小渕首相訪韓、金大中大統領の要請に対し、「今後検討していく」と約束、金大中大統領は、「在韓外国人に参政権付与を検討している」と
1999年4月
外国人登録法改正
外国人の指紋押捺が全廃される
1999年4月17日
小沢一郎(自由党党首)訪韓
金大中大統領の要請に対して「やはり、リーダーがきちんと決断しないといけない。積み上げ方式で結論が出るのを待っていては難しい。今度は日本人自身が決断し、誠意を事実として示すときである」
1999年5月11日
民団全国代表者会、「永住韓国人の地方参政権の早期立法化を求める決議」
野田毅自治相(自由党)、辛容祥団長(民団中央)の地方自治体の選挙で投票する権利の要望に対し、「誠心誠意しっかり検討していきたい」
1999年5月26日
「日本を守る国会議員の奮起を求める国民の集」決議、参政権付与は違法、不当
1999年5月28日
自民党「選挙制度調査会」(中山正暉会長)、結論出ず
主な慎重論として、相互主義、(北朝鮮)支持者は「同化政策」と反論、在日韓国人は「二重投票権」もつなどが
1999年6月17日
通常国会会期末
〜99年8月13日、延長国会
1999年6月23日
自民・自由両党、衆・比例区定数50削減案提出(200のうち)、(自由党の連立離脱の切り札(カード)として自民に迫る)、もともと削減に反対の公明党は、既に提出している外国人地方参政権法案を先議すべきと主張
1999年7月26日
公明、自自連立を受諾
1999年8月
金大中大統領、2002年の地方選挙までに在住外国人に地方選挙権を付与する特別法制定を指示
1999年8月3日
定数削減法、公明は審議入反対
1999年8月11日
衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会
外国人参政権法案2本(民主・平和改革と共産)平行審議
比例定数50削減案(定数削減反対の民主、共産、社民は拒否して欠席)
冬柴(公明)、提案の趣旨説明
(1)成熟した民主主義国家として、この「住民」には地域に特段に密接な関係をもつに至った「外国人たる住民」の意思をその決定に反映すべきものであること、特に在日韓国・朝鮮人、中国台湾人、など特別な歴史的背景の人々に対しては、その人たちが望むなら限りなく日本国民に近い扱いがされてしかるべきであることなどの判断に基づくもの
(2)被選挙権の付与が許されないという理論的結論を前提に立案したものではなく、現時点における国民感情等を慮(おもんばか)り、本法の早期成立ということを何よりも優先させ、その付与を将来の議論に委ねようとする政策判断に基づくもの
1999年8月12日
衆院政治倫理・公職選挙法改正特別委員会(審議2日目)
慎重論についての質疑
(1)選挙権は国民固有の権利-→国政と地方レベルを区分し、「永住外国人に選挙権を与えることは憲法上禁止していない」(最高裁判決)より問題ないとした。(冬柴(公明)答弁)
(2)相互主義-→適用の基礎が違う。歴史的経緯をもつ在日韓国人に相互主義を適用することは無理がある。(冬柴(公明)答弁)
(3)安全保障-→国権に関するものではなく、住民としての資格を与えるものであり、安全保障に直結するものではない(中野(民主)答弁)
1999年8月13日
臨時国会会期末、民主・公明、共産案とも継続審議
1999年9月1日
金鐘泌韓国首相訪日、「2002年までに韓国に5年以上住む外国人に地方選挙権を与える」と表明
1999年9月29日
自自公3党幹事長、政権合意
(1)継続審議の外国人選挙法を3党共同修正して提案
(2)公明は臨時国会冒頭処理
自民は次期通常国会での処理主張
1999年10月5日
自民、自由、公明3党連立内閣発足
自由党→二階堂博(運輸相) 公明党→続訓弘(総務長官)各1人入閣
1999年10月
日本会議国会議員懇談会、小渕首相に慎重な対応申し入れ
1999年10月27日
自自公与党3党幹事長会議
冬柴(公明)提案
(1)衆・比例定数20削減、30は小選挙区から検討
(2)永住外国人選挙法修正 朝鮮籍除外
両案一括、臨時国会の11月4日提案(自由は同調、自民は「ひきつづき調整するとして結論もちこし) 「朝鮮」籍除外の法律案要綱
5 施行期日その他
3 当分の間、この法律における永住外国人は、外国人登録原票の記載が国名によりされている者に限るものとすること。
1999年10月29日〜12月15日
臨時国会
1999年11月8日
永住外国人法案、自民が賛成しない場合でも自由・公明2党で提案する意向を受け、森幹事長と古賀国対委員長が協議し、2党提案はやむを得ないとの認識で一致した、自民党首脳、記者会見で
1999年11月6日
日韓議連総会、日本・ 竹下昇、韓国・朴泰俊、選挙権早期実現に努力
1999年11月12日
政府与党連絡会議、永住外国人選挙法案で自民党の党内調整がおくれる場合は自由・公明両党だけで提出と(冬柴幹事長が理解を求めた)
青木幹雄官房長官は、記者会見で、自民党が3党合意を踏まえてほしいということで、自由・公明両党だけで提出するという発言はなかった(と否定)
1999年11月12日
自自公与党幹事長会議で、自民党選挙制度調査会、与謝野馨会長「党内での調整を進める。提出はしばらく待ってほしい」と要請
1999年11月22日
自自公与党3党、今国会永住外国人選挙法案提出見送り、党内調整に手間どっている自民党内事情に公明党が理解
自民党内の慎重論は、韓国に住む永住日本人の数と在日永住外国人の数が違いすぎて片務的、特定の自治体では(大阪)、首長を当選させるだけの組織票となり得る
1999年11月23日
日中韓首脳会談(於マニラ)--韓国金大中大統領が「在日韓国人の地方参政権について、来年中に妥結するよう期限を切って」要請、小渕首相は自民党内の意見調整に手間どっていることを説明
1999年12月14日
定数削減案強行採決(特別委)、議長裁定で継続審議へ
2000年
2000年1月12日
公明党常任委員会、永住外国人選挙法案を1月20日通常国会冒頭に公明・自由2党の共同提案することを決定(自由同調)、自民党森幹事長も了解
2000年1月20日〜6月17日
通常国会
2000年1月21日
公明・自由両党、永住外国人法案提出
自民党内での反対論根強く、2党で見切り発車、国籍欄に「朝鮮」と記載されている永住外国人は除外
2000年1月21日
衆・比例定数20削減案提出
2000年1月26日特別委可決,、2000年1月27日衆・本会議可決、2000年2月2日 参・本会議可決(野党欠席)
2000年2月2日
総聯「朝鮮籍除外」法案即時撤回を表明
2000年5月21日
在日外国人の参政権を考える会・福井集会
2000年5月23日
衆院政倫・公選法特別委員会で3法案審議(採決しないという前提で審議)
3法案とも廃案(衆院解散のため)
2000年7月5日
公明・保守2党共同提案、永住外国人地方選挙権付与法案、衆院提出 選挙権のみ、「朝鮮籍」除外せず
民主党、永住外国人地方選挙権付与法案、衆院提出
2000年8月4日
在日外国人の参政権を考える会・福井集会
2000年8月9日
両法案ともに継続審議(委員会審議せず、臨時国会会期末のため)
2000年9月
自民党議員による「外国人参政権の慎重な取扱いを要求する国会議員の会」発足
2000年10月2日
共産党、永住外国人地方選挙権及び被選挙権付与法案、参院提出 選挙権・被選挙権とも
2000年10月8日
在日外国人の参政権を考える会・福井集会
2000年11月19日
在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会の主催による、「シンポジウム:2000 私たちが求める外国人地方参政権」が開催される
2000年12月1日
臨時国会閉幕
公明・保守党提出および民主党提出の「永住外国人の地方選挙権付与法案」は継続審議に
2001年
2001年1月31日
通常国会開会。自民、公明、保守の与党3党による「国籍等に関するプロジェクトチーム」(太田誠一座長)は初会合を開き、在日韓国・朝鮮人など特別永住者に限って国籍取得(帰化)要件を緩和するため、今国会で国籍法改正を目指す方針を確認
2001年2月7日
民主党内の参政権反対派は、「外国人地方参政権を考える会」を旗揚げ。45人が参加
2001年2月8日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」は、特別永住者の帰化(日本国籍取得)要件について
(1)(法務省の自由裁量による)許可制を維持し、帰化条件を緩和する
(2)届け出制による国籍取得を認める
(3)すべての特別永住者に日本国籍を付与し、国籍を選択させるの3案を軸に検討していくことで一致
2001年2月15日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」は、(3)案は「日本国籍が不要な人たちが国籍喪失の手続きをしなければならない」「一定期間であれ、二重国籍の状態が生じる」などの理由から慎重論が強く、今後は(1)案と(2)案を軸に検討することに
2001年3月1日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」は、特別永住者が日本国籍を取得した場合、戸籍名として「崔、鄭、姜、趙、尹」の5文字の使用を認めることを決める
2001年3月8日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」で、韓国大使館の柳光錫・政務担当公使は、特別永住者に対する日本国籍取得要件の緩和について「在日韓国人社会が待ち望んできたことであり、韓国政府としてもこれを評価する」と表明
2001年3月21日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」で、民団の具文浩副団長は国籍法改正の動きに対し「私たちも待ち望んでいる」と評価する一方、「国籍法改正と地方参政権付与は別の問題であり、地方選挙権付与を国籍法改正によって代替されることがあってはならない」と指摘
2001年3月23日
兵庫県の龍野市議会は、衆・参議長あての「永住外国人に対する地方参政権付与に反対する意見書」を採択。総務省によると2月末現在で、1119の地方議会が地方参政権を求める意見書・要望書を採択、反対意見書は香川県、熊本県荒尾市、北海道釧路市、今金町、埼玉県栗橋市の5議会が採択
2001年4月14日
自民党総裁選で小泉純一郎候補は、地方参政権付与法案について「積極的に賛成する気になれない。帰化申請すればいいのだから。帰化要件緩和をどうするかは今後の話だ。外国人なのにどうして日本の参政権をとりたいのか。帰化したくないのに参政権がほしいといのはおかしい」と語る
2001年4月15日
自民党総裁選で麻生太郎候補は、地方参政権付与法案について「朝鮮半島で有事が起き、大量の難民が日本に流れついた場合、港に自衛隊が出動すると、その地域の了解が必要になる。その時に、それが速やかに実行できるかできないかという問題が起きる可能性があり、地方参政権が国政に関係ないことではない。そういった意味で地方参政権を与えるのには反対。むしろ帰化をしやすくすべきだ」と語る
2001年4月19日
与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」は、特別永住者が法相への届け出だけで日本国籍を取得できるよう改める法律要綱案をまとめる
2001年4月29日
自民党の山崎拓・新幹事長は、「(地方選挙権付与法案に反対する考えは)変わらないが、幹事長なので意見集約の責任がある。真っ二つならクロスボーディング(党議拘束をはずした投票)を考えざるをえない」と語る
2001年5月4日
森山真弓・新法務大臣は、地方参政権付与法案について「好ましくない。日本の国籍をとって頂いてフルに参政権を行使していただくのが筋だ」、国籍法改正について「終戦までは日本人だったが、サンフランシスコ講和条約で韓国、台湾など他の国籍になった方がいる。そういう方々は日本に生まれ、育ち、教育を受けているわけで、自分の意思に反して他の国籍になっているとすれば改めてチャンスを広げるのは当然だ」と語る
2001年5月7日
与党3党の国対委員長会談で、「今国会中に形が見えるよう努力すべきだ」(大島理森・自民党国対委員長)との考えから法案の成否にかかわらず採決で決着をつけることで一致
2001年5月8日
与党3党の幹事長会談で、地方選挙権付与法案について冬柴鉄三・公明党幹事長は「今国会で採決してほしい。20日ごろまでに回答してほしい」と要請
2001年5月9日
これまで参政権法案に反対してきた『産経新聞』は、与党3党の「国籍等に関するプロジェクトチーム」が作成した「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法案(仮称)」の全文を掲載
2001年5月11日
自民党の「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」(奥野誠亮会長)は、地方選挙権法案を仮に採決する場合には自由投票でなく党議拘束にかける(反対で一本化する)ことなどを求める要望書を党三役に提出
参考書目
仲原良二『知っていますか? 在日外国人と参政権 一問一答』解放出版社、2000年
田中宏「永住外国人への地方参政権反対論を読み解く」月刊オルタ2001年4月号、等
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