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上告受理事件番号 名吉屋高等裁判所金沢支部平成
八年(行ツ)第二〇四号

           上告理由書 


                   

上告人  李鎮哲外三名 
                   

被上告人 国外四名 
 
右当事者間の選挙人名簿不登録連法確認等請求上告事件の上告の理由は左記のとおりである。

   一九九六年八月 日 
       右上告人ら訴訟代理人  

弁護士 丹羽雅雄
                    
弁護士 大川一夫
                    
弁護士 井上二郎
                    
弁護士 上原康夫

最高裁判所 御中
   
                   記

第一

 

原判決には憲法の違背および判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
 
一 憲法三二条の「裁判を受ける権利」と無名抗告訴訟原判決は本件選挙管理委員会および国に対する選挙人名簿不登録違法確認の訴え(以下「本件違法確認の訴え」という)を、いずれも不適法として却下した。
原判決は、選挙管理委員会に対する本件違法確認の訴えにつき義務付け訴訟の要件を具備しないとし、国に対する本件違法確認の訴えにつき国は行政庁ではないからとして、それぞれ不適法としている。
   
 しかし原判決の前著の判断は、憲法第三二条が保障する「裁判を受ける」権利を侵害し、同時に行政事件訴訟法第三条一項の「抗告訴訟」の解釈を誤ったものである。
 そして後者の判断も、行政事件訴訟法第三条第一項の「抗告訴訟」の解釈に加えて同法第四条後段の解釈を誤ったものである。

二 「裁判を受ける権利」と選挙管理委員会に対する本件連法確認の訴えにつ
 いて

l 選挙権は民主制の根幹をなす住民の基本的な権利であって、民主主義を基
 本原理とする日本国憲法の保障下にある極めて重要な権利である。だが、
いわゆる国籍条項によって、上告人らがその属する地方公共団体の選挙管理
委員会の選挙人名簿に登録されていないことは、憲法第一四条、第九二条、第
 九三条第二項、地方自治法第一○条一項、二項等に反し違憲、違法である
 ことは、上告人らが一審以来縷々主張してきたところである。
  このように上告人らは、住民としての基本的権利である選挙権が侵害され
 ているとして、その侵害の排除、回復を求めて選挙管埋委員会に対する本件
 連法確認の訴えに及んでいるものである。
  しかるに原判決は、訴訟要件を具備しないとして、これを却下した。 
       
 以下、原判決のこの判断が憲法第三二条の解釈を誤ったものであること、
そして上告人らの「裁判を受ける権利」を侵害するものであることを明ら
かにする。

2 「裁判を受ける権利」といわゆる「訴訟法の留保」の克服

(一)憲法三二条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われな
い。」
 と定めており、この権利は、日本国憲法の採る違憲審査制のもとにおいては、
 憲法上の実体的基本権(選挙権もこれに含まれることはもちろんである)を
 守るための出訴、訴訟追行を保障し
た手続的基本権であり、いわぱ「基本権を確保するための基本権」と解されるものである。

憲法上の基本権が侵害された場合、その侵害の排除、権利の
回復等を求めて出訴する権利もまた基本権として保障されなければ、憲法上
の基本権は画餅に帰してしまうからである(棟居快行「人権論の新構成」信
山社刊二八五頁以下。樋口陽一外三名「注釈日本国憲法」上巻七一七頁)。
なおこの権利は、その性質上、外国人にもその保障が及ぶことはもちろんで
ある(同書七一六頁)。

(二)選挙権という上告人らの実体的基本権が侵害されているという違憲・違
 法状態が現に存在すると考える場合、上告人らが裁判所に、その違憲、違法
であることの確認を求めて出訴した本件違法確認の訴えは、まさに上告人ら
に保障された基本権実現のための手続的基本権である「裁判を受ける権利」
の行使にほかならない。憲法八一条の違憲審査制のもとにお
いては、右のような連憲状態にあると主張する者には当然裁判所の違憲審査
を受ける機会が保障されなけれぱならない。
 そこで出訴の場合、訴訟要件、訴訟類型をどう考えるべきかについて、右
に述べた「裁判を受ける権利」との関係で述べることとする。     

(三)いわゆる「訴訟法の留保」の克服
従来の司法審査制(付随的審査制)に関する議論では、実定実体法や行政
処分と憲法上の実体的基本権との整合性の有無(違憲性の有無)のみに関心
が向けられ、司法審査(本案審理)を受ける前提として不可欠な訴訟要件、
訴訟類型をめぐる議論においては憲法論の視点からの充分な考察がなされて
こなかったといってよい。すなわち、訴訟要件、訴訟類型はもっぱら実定訴
訟法が規定するがままに任され、それに対する憲法上の手続的基本権たる
「裁判を受ける権利」からの検証・司法的チェックがなされてこなかった。
 司法審査制の導入により憲法の実体的基本権規定では「法律の留保」は克
服され、これにより憲法の実体的基本権が「法律の留保」に服することなく
それ自体が裁判規範性を持つことになった。
 ところが、訴訟要件、訴訟類型の面では、とりわけ行政事件訴訟の原告適
格、処分性の有無、無名抗告訴訟の要件などにおいて、実体訴訟法を制限的
に解することによって「訴訟法の留保」を残してきたのである(棟居前掲
書二八八頁)。これでは、憲法上の実体的基本権の実現は憲法の下位規範であ
る既存の実定訴訟法(これに行政事件訴訟法が含まれることはもちろんであ
る)によって阻害されることになり、いわば「法の下剋上」を是認すること
になる。その不条理はいうまでもない。
 ここで銘記すべきことは、憲法三二条が手続的基本権規定であると同時に、
それ自体が民事訴訟法や行政事件訴訟法と同じ意味において実定訴訟法であ
るということである。そしていうまでもなく、憲法こそが上位の実定訴訟法
である。
 したがって、自己の権利を侵害された、あるいは侵害されそうだと考える
者は何人も、憲法三二条を根拠にして救済を求めて訴訟を提起できるのであ
る。この訴訟提起自体が「裁判を受げる権利」という憲法上の権利の行使な
のであるから、下位の実定訴訟法にその訴訟要件・訴訟類型が定められてい
ないとしても、それは何の障害にもならないのである(松井茂記「裁判を受
ける権利」日本評論社刊一九○頁以下)。
 かくして裁判所は、当該訴えが実体訴訟法に明定されていない訴訟類型で
あっても、それが憲法上の基本権の侵害の排除、基本権の実現等を求める訴
訟である場合、徒らに訴訟要件を制限的に解して実体的司法審査(本案審理)
を回避することは許されないのであって、「裁判を受ける権利」に照らして
 これを受容すべきものである。こうしてこそ、「法律の留保」と同様、「訴
訟法の留保」も克服されるのであり、また克服されなければならないもので
ある。
 そしてそのために、当事者と裁判所は協力して現行の実定訴訟法を手がか
りにして、当該訴訟を実効あらしめるための訴訟類型、訴訟手続を考案すべ
きものである。

(四)このことはその基本的趣旨において最高裁判例も認めるところである。
 すなわち、議員定数不均衡違憲判決として周知の最大判一九七六年四月一
四日(民集三○巻三号二二三頁)は、・選挙権の平等侵害を選挙無効の訴え
で争うことができる、・事情判決の法理に基づく一種の宣言判決が可能であ
る、という訴訟法的に重要な判示をしている。
 同判決は、公職選挙法第二○四条の選挙無効の訴えにつき、「現行法上選
挙人が選挙の適否を争うことができる唯一の訴訟であり、これを措いては他
に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はないのである。お
よそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、
救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるときは、
前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が
選挙権の平等に反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排
除する趣旨であるとすることは、決して当を得た解釈ということはできな
い。」と判示して、本来公選法の規定が予定していなかった訴訟類型も基本的権利
を侵害されたと主張する者の裁判を受ける権利と司法審査制の理念に照らし
て許容すべきものとしたのである。
 このように選挙訴訟については、訴訟要件・訴訟類型および判決の形式・
救済方法について、司法審査制を実効あらしめるための訴訟法的解決が判例
上も示され、本案のならず、訴訟要件の規定についても司法審査が及ぶこと
が承認されているのである。 
                 
       
3 ところが原判決は、右に述べた諸点をまったく考慮することなく、選挙管
 理委員会に対する本件違法確認の訴えにつき、その訴訟要件を殊更狭く解釈
 し、しかもこれを後述のとおり義務付け訴訟の場合と同様だと曲解し一審判
 決を取り消してまで却下し、本案理を拒否している。
  原判決が憲法三二条に違背し、上告人らの「裁判を受ける権利」を侵害す
 るものであることは明らかと言わなければならない。

三 選挙管理委員会に対する本件違法確認の訴えと無名抗告訴訟

1 原判決は、選挙管理委員会に対する本件違法確認の訴えの訴訟要件につい
 て
 (一)これを義務付け訴訟の場合と同様であると解して、義務付け訴訟にお
 いては、・行政庁の作為、不作為義務の内容が裁量の余地のないほど明確で、
 ・性質上、裁判所の判断に適する事項であり、行政庁の第一次的な判断権を 
 留保する必要性がそれ程ないような事柄に関する場合であって、・他方、出
 訴を認めなけれぱ回復し難い損害が生じ、事前救済の必要性が顕著である等
 の要件が満たされた場合にのみ認められる、としている。
 
(二)そして、選挙管理委員会は住民基本台帳に記録されていない日本人で
 はない者について、これを選挙人名簿に登録すべきか否かを判断する権限
など法律上有していないことは明らかであるから、本件訴えは右・の要件を
其備していない、としている。

2 しかし原判決の右(一)の判断については、選挙管理委員会に対する本件
 違法確認の訴えは、行政庁(選挙管理委員会)に直接に行為を強制する、
即ち上告人らを選挙人名簿に登録することを直接に強制するものではないから、
 義務付け訴訟ではない。従って、その訴訟要件を義務づけ訴訟の場合と同様
 とみるべき理由はない。
  本件訴えの訴訟要件を義務付け訴訟のそれと同じと解した上での原判決の
 前記判断は、既にその前提において誤っているものと言わなければならない。
  
 次に原判決の前記(二)の判断もまた、行政事件訴訟法第三条第一項の
 「行政庁」の解釈を誤ったものであり、失当である。
 原判決は、当該処分につき判断権を有する者のみが右にいう「行政庁」だ
 との認識に立っているものと思われる。
 しかし右にいう「行政庁」とは、国または公共団体から公権力の行使の権
限を与えられている機関を意味する。そして当該機関がなした行為が「処
分」に当たる場合にこれを行った機関が「行政庁」であると解されている(南
博方編「条解行政事件訴訟法」四二頁)。「処分」とは市民の権利義務を形
成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているものをいうが
(最一小判一九六四年一○月 二九日民集一八巻八号一八○九頁)、「処分」    

性の概念には原判決の言うような「法律上の判断権限」や裁量権の有無とい
う要素は決して不可欠のものではない。判断権限や裁量権がなくとも当該機
関がなした行為が市民の権利義務を形成または確定するものであるときはそ
の行為は「処分」にほかならないのである。そしてその処分に違法があれば、
それが判断権のもとになされたかどうかを間わず、その違法は司法により是
正する途が開かれていなげればならないところである。
 この場合の違法とは客観的な違法を意味し、判断権のない者によってなさ
れた処分だから違法はないという保障などあり得ないからである。要は、当
 該処分が客観的に違法であるかどうかが重要なのであって、その処分が判断
 権のある者によってなされてかどうかは間題ではない。
  選挙管理委員会による選挙人名簿への登録行為が市民の選挙権という権利
 を具体的に形成もしくは確定するものであり、これが「処分」に当たること
 は異論のないところである。従って、選挙管理委員会も、たとえ原判決の言
 うように日本人でない者について選挙人名簿に登録するか否かを判断する権
 限を有していなくとも、選挙人名簿への登録に関して「行政庁」であること
 に変わりはない。だから、選挙人名簿ヘの不登録という行為(不作為)に
違法があると主張して訴訟が提起されたときは、裁判所はその違法の有無につ
 いて本案審理を拒否すべきものではない。              
 

3 なお公職選挙法が定める名簿訴訟(同法二五条)は、その前提としての登
 録、縦覧に時期的制約があり(同法二二条、二三条)、かつ出訴期間の制限
 もあるので、右のような制約等を受けずに名簿不登録の違法を主張して出訴
 するには本件違法確認の訴えが最も適切な訴訟形式であり、他にこれに代わ
 る訴訟形式は見当たらないところである。
  この点に関し、一審判決は「不登録に対しては、無名抗告訴訟として、行
 政庁に対し登録することを求める義務付け訴訟、あるいは登録義務確認訴訟
 もしくは登録しないことの違法確認訴訟が考えられるが、選挙人名簿ヘの登
 録には法改正を要し、それについては立法府の判断を尊重する必要があるか
 ら、登録しないことの違法確認の限度で許容されると解するのが相当であ
る。」と判示し、選挙管理委員会に対する本件違法確認の訴えの適法性を承認し
ている。そして一審判決もこの訴えの訴訟要件を義務付け訴訟のそれと同じだ
 とはみていないことは右判示に照らして明らかなところであり、この点にお
 いて一審判決は正鵠を射たものと評価すべきものである。
            
4 このように、原判決が選挙管理委員会に対する本件違法確認の訴えの訴訟
 要件を義務付け訴訟のそれと同視したこと、および選挙管理委員会に前記の
 ような判断権がないことを理由に訴訟要件を具備しないとしたのは明らかに
 誤りである。行政事件訴訟法第三条一項の「抗告訴訟」には無名抗告訴訟も
 含まれると解されるところ、原判決は右法条の「抗告訴訟」のおよび「行政
 庁」の各解釈を誤ったものにほかならない。そして原判決はこれに基づき一
 審判決を取り消したのであるから、右誤りが判決に影響を及ぼすものである
 ことは明らかである。 
  なお付言すると、原判決が無名抗告訴訟が認められる要件として列記して
 いる前記・ないし・の要件は、前述の憲法上の「裁判を受ける権利」から訴
 訟要件を点検するという視点に立って考えるならば、これらは訴訟要件とい
 うよりむしろ本案の間題と解すべきものと思われる。

四 国に対する本件違法確認の訴えと被告適格について

 原判決は国に対する本件違法確認の訴えにつき、行政庁に当たらない国を
 被告とする点において不適法であるとする。

1 しかし原判決の右判断は本件訴えの趣旨を誤解し、かつ無名抗告訴訟の範
 囲、意義、および被告適格の解釈を誤ったものである。
  上告人らが本件訴えで国に対し求めているのは、国が地方自治法第一一
 条、第一八条、公職選挙法第九条第二項、第二一条第一項にいわゆる国籍条
 項を設け、かつこれを存続させることによって上告人らが選挙人名簿に登録
 されていないという公法上の法律関係を現に上告人らとの間に作り出してい
 ることについて、その法律関係が違法であることの確認である。従って、こ
の確認請求の相手方は当然のことながら、右公法上の法律関係の一方当事者
である国である。
 原判決は、本件訴えを無名抗告訴訟としてのみ捉え、それを前提に、無名
抗告訴訟も抗告訴訟である以上被告は当然に行政庁でなければならないと考
えているものと思われる。
 しかし右原判決の考え方は無名抗告訴訟の多義性、多様性を看過するもの
であって、到底妥当とは言い難い。無名抗告訴訟とは行政事件訴訟法に
規定されていない行政不服訴訟を意味するが、その範囲は行政事件訴訟法第
三条第一項の「抗告訴訟とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」
だけに狭く限定して解すべきものではない。従って被告の範囲も行政庁だけ
に限定されるものではない。
 当該無名抗告訴訟に法律上の争訟性、訴えの利益、原告適格等訴訟一般に
要求される訴訟要件が具備していれば、その被告を行政庁に限ることはなく、
それぞれの訴えの趣旨、訴訟形式に即して被告を定めればよい。
 本件訴えの趣旨は上告人らと国との公法上の法律関係の違法の確認を求め
るのであるから、その趣旨に即して被告を定めれば、それは国であってそれ
 以外にはあり得ない。

2 次に原判決は、国に対する本件違法確認の訴えをあくまでも無名抗告訴訟
 と捉えているが、これを行政事件訴訟法第四条後段の「公法上の法律関係に
 関する訴訟」(実質的当事著訴訟)と捉えることもできる。無名抗告訴訟と
 実質的当事者訴訟の区別は困難ではあるが、両者の区別は流動的かつ相互補
 完的と解される(参考 南 博方編前掲書一六三頁、一六八頁以下)。従っ
 て、本件訴えを実質的当事者訴訟と解する余地は充分にある。そうなれぱ被
 告は当然、行政主体である国である(同書一七五頁)。
  しかるに原判決は、国に対する本件違法確認の訴えを無名抗告訴訟としか
 見ようとせず、これを実質的当事者訴訟とみることを看過し、その結果、被
 告を国とした本件訴えを不適法とする誤りを犯したものであり、この誤りは
 行政事件訴訟法第三条第一項と同法第四条の解釈の誤りにほかならない。そ
 して、本件訴えが訴訟要件を具備していれば本案判決がなされて然るべきと
 ころ、原判決は一審の却下判決を支持したのであるから、右誤りが判決に影
 響を及ぼすことは明らかである。

第二

 上告人らに地方参政権を認めない本各国籍条項は憲法一五条一項及び九三条二項に
違反する

一 憲法一五条一項違反

1 原判決は、「憲法一五条は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的
任免権が国民に存在することを表期したものに他ならないところ、憲法前文
及び一条の規定に照らせぱ、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本
国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することが明らかであり、そう
すれば公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利
の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が
国に在留する外国入には及ばないものと解するのが相当である。」と判示す
る。
 ここに「憲法前文及び一条の規定に照らせぱ」とアプリオリに言うが、前
文及び一条は国民主権原理自体を表明したものにすぎず国民主権原理におjけ
る国民が日本国籍保持者に限られるとする旨が明確に規定されているもので
もなければ、前文及び一条自体の解釈から前記結論が論理必然的に導かれる
ものでもない。
 すなわち、日本国憲法が国民主権主義を採用したのは、何よりもまず旧憲
法の根本原理であった天皇主権主義を否定したところに決定的な意味がある
のでのり、特に一条においては「第一章 天皇」の章の冒頭に天皇の地位と
対比させて国民主権主義を規定しているのであるから、前文及び一条の「日
本国民」及び「国民」との文言は、いずれも君主(天皇)に対する対抗的意
味をもつ者、すなわち「歴史的対抗概念としての天皇を排除した者」を第一
義的に意味するのであって、この者達(国民)を国籍保持者に限定すべきだ
と直ちに結論付けることは到底できないからである。(以上、注釈日本国憲
法上巻〔青林書院〕三七頁、六六頁参照)

2 従って憲法前文及び一条の規定から、国民主権原理における国民の意味
(その範囲)を直ちに導き出すことはできず、それは国民主権原理そのもの
の趣旨に立ち返って考えられなけれぱならない。
 
(一) 前述のように、国民主権原理は君主主権原理の対抗概念であり、そ
の趣旨は「国籍をもつ者が主権者だ」ということにあるのではなく、「国
民」とは異質な「国民」の上に立つ権威による支配を排除し、治者と被治者
の同質性を確保するというところにある。もっとも、封建領主の支配から解
放され、近代国家が成立していく過程で、主権者たる者の範囲を画定するた
めの前提として「国籍」の明確化が必要となり、主権者たりうる者に「国
籍」が付与された。
 この意味では国民主権原理は「国籍」と結びつくが、「国籍」が国民主
権原理の内容を規定したのではなく、あくまでも国民主権原理が「国籍」の
内容を規定したのである。
 従って、主権者たるべき者には「国籍」が与えられるという前提のもとで
のみ、国民主権原理は国籍保持者による権力の正当化原理となりうるのであ
って、その前提がない場合に国籍保持者だけが主権者であるというのでは国
民主権原理は権力の正当化原理としては機能しえないことになる。

(二) そこで、主権者たるぺき者は、いかなる範囲の者かが間題となる。
 国民主権原理の実質はとどのつまり人民による自己統治であり、政治的決
定に従うものは当然その決定に参加できなけれぱならないという民主主義の
原理と結びつく。そうであるとするならば、主権者たるべき者ものは、その
政治杜会における決定に従わざるを得ない社会の構成員たるすぺての市
民ということになる。

するのならば、原判決の結論とは逆に次のように言いうる。
 憲法前文は、平和主義、基本的人権尊重主義も日本国憲法の基本原理であ
ると宣言し、平和主義と基本的人権尊重主義を実現することを「決意」して
「主権が国民に存することを宣言」している(前文第一文)。
 この意味するところは、国民主権原理は平和と人権の実現に仕えるための
ものとして位置づけられなくてばならないということである。
 そうだとすれぱ、政治杜会における決定に従わざるを得ない社会の構成貫
全てに政治的決定に参画し、自己の意思を表明ずる権利(憲法一三条)が保
障されていると考えてはじめて、基本的人権尊重主義と国民主権主義を調和
的に解釈しうるのである。

4 かくして、日本国意法の「国民主権」原理に基礎づけられる憲法一五条
一項は、社会の構成員である上告人ら定住外国人に対し参政権を与えること
を否定しているのではなく、逆に保障または要請しているというぺきことに
なり、原判決は憲法一五条一項の解釈を誤っているといわざるをえないので
ある。

二 憲法九三条二項違反

1 さらに原判決は「前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五第一
項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を
なすものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう『住民』と
は、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解する
のが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して地方参政権を
保障したものということはできない」と判示する。

2 ここに「地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素をなすもので
あることを併せ考えると」というが、地方自冶権は必ずしも国の統治権に根
拠するものではない。むしろ、日本国憲法が地方自治に関し独立の章を設け
たのは、地方自治を、権力分立による権力の抑制、均衡という自由主義的契
機と議会制民主主義の補完という民主主義的契機から、現行憲法上不可欠の
ものとして保障しているのであって、その意味では地方公共団体の自治権は
国統治権からは独立のものであることを憲法自体認めているのである。
 それゆえ、九三条二項は、敢えて「住民」と規定しているのであって、
この「住民」とは地方公共団体の構成要素としての住民全てを意味し、「国
民」の部分としての住民を意味するのではないのである(因みに、地方自治
法一○条一項は、「市町村の区域内に住所を有する者は当該市町村及びこれ
を包括する都道府県の住民とす。」と規定し、その要件は絶対的で、国籍に
よる区別をしていない)。
 このように解してこそ、地方公共団体が「住民」とは「国民」の下位概念
ではなく、地方公共団体の構戎要素としての住民を意味すると解すぺきであ
り、原判決は憲法判断を誤っていると断じざるを得ない。

三  適用違憲

1 原判決は、上告人ら旧植民地出身及びその子孫に地方参政権を付与する
か否かは専ら国の立法政策にかかわる事項だとした上で、「旧植民地出身者
及びその子孫であるという在留原困の特殊桂、社会生活における差別実態と
杜会構成員性ということが、直ちにこれらの人々に対してのみ地方参致権を
認めなければならないということになるものと解することはできない。」と
判示する。

2 しかし、旧植艮地出身者は、一九一○年のいわゆる日韓併合以来、無理
失理に帝国臣民とされ、強制あるいは半強制的に日本に居住させられ、その
反面として参政権を付与されてきた人々である。
 すなわち、日本国憲法制定当初から、我が国には、地方自治体の構成員
とされ、かつ、地方参政権を有する旧植民地出身の人々が存在した(なお、
戸籍条項の導入は、参政権を停止しただけである)。仮に、原判決判示のと
おり定住外国人一般に地方参政権が保障されていないとしても、少なくとも
憲法が外国人に地方参政権を付与することを禁止しているものでない以上、
前述した「住民」による自治を保障した憲法の地方自治の趣旨からして、在
留原因の特殊性から、憲法制定当初から地方公共団体の構成員であり、かつ
参政権を有していた者をその後我が国によって日本国籍を喪失させられたと
いう事由のみによって、九三条二項は「住民」から除外する趣旨とは到底考
えられない。

3 従って本件各国籍条項を適用して上告人ら旧植民地出身者の地方参政権
を侵害することは明らかに適用違憲となるのに、原判決はこの憲法解釈を誤
るものである。

第三 

立法裁量論について  --憲法違反

一、 

1 原判決は、定住外国人の地方参政権について「憲法第八章の地方自治に
関する規定の趣旨からすると、我が国に在留する外掴人のうちでも永住者等
であってその居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至っ
たと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地
方公共団体の公共的事務の処理に反映させるぺく、法律をもって、地方参政
権を付与する措置を講ずることは憲法上禁止されているものではない」とし
つつも、結局は、その措置は国の立法政策、立法裁量の問題としている。

2 しかし、立法に参画しえない者が、立法に参画しえないことの違法を
問う訴訟において、それを合法であるとする理由が立法の裁量に委ねられて
いるというのは、自己矛盾であるといわざるをえない。

二、

1 通常、立法には広範な裁量が委ねられているといわれている。

その理由は、詰まるとこる、民主制の観点から、民主的討議を経て得られた
民主的結論であるところの立法府の判断が尊重されるぺきところにある。も
しも、立法行為の結果(或いは立法不作為の結果)不合埋な状態が生じてい
たとしても民主割が貫徹されている以上、そのような不合理な状態はやがて
民主的討議を終えた上で是正されるだろうという確信に基づいている。

2 しかし、今回のような場合には立法裁量論はあてはまらない。即ち、上
告人ら定住外国人には立法行為に参画しえない以上、立法によって是正する
という途が開かれていないからである。本来、立法行為に参画しうる者に
対してのみ通ずる立法裁量論を立法行為に参画しえない上告人に対して用い
ることは原理的に誤りといわざるをえない。

3 なお、在宅投票制度の廃止行為を立法行為として違憲判断した札幌地裁
小樽支部昭和四九年一二月九日判決判例時報七六二号八頁)は次のよう
に述べている。「選挙という民主制の根幹をなす重要な基本権について、立
法府の広範な裁量的判断を尊重すべきことを強調する結果、司法審査の及ぶ
範囲を(略)極めて限定的に解するに至るならば、遷挙権の行使を不当に制
約する疑いのある立法がなされた場合に、その復元について選挙に訴えるこ
とそのものが制約され、民主制の違程にこれを期待すること自体不可能とな
らざるをえないのであるから、かかる場合(略)司法の自己制限の立場を採
ることは、かえって、憲法の基本原理たる民主割の基礎をおびやかすことに
なるのであって、憲法の墓本原理を実質的に推持する見地からみて相当では
ない。この判旨は、本件とは事案は違うが、参政権という基本的人権の侵害
に対し、民主制の過程にその復元を期待しえないときに、司法が自己制根の
立場をるることの誤りを、正しく指適しているものである。

4 参政権は表現の自由と密接に関違し、平等保護条項等によって保障され
る優越的権利である〈芦部信喜「人権と憲法訴訟」二四○頁以下)。従っ
て、その制限立法(本件では権利そのものをみとめていない)の合憲性判新
の、その審査は厳格審査墓準によらなければならない。言い換えれば、安易
に立法裁量論の名のもとに立法不作為状態を合憲化することは許されない。
 本伴では、「国民主権」の「国民」に上告人ら定住外国人が含まれること
は前説で主張した通りであるが、その上告人らの参政権を剥奪するのに他の
代替措置(例えば、定住外国人の意見を反映させる参政権以外の手段)を何
らとることなく剥奪するのは厳格審査基準に照らして違憲である。

三 

1 司法消極主義の根拠は、立法と司法の民主制の違いによるとされてい
る。しかし、本件ではそもそも民主制の課程から排斥されている事案である
ことは前述の通りである。従って、本件のような場合は、司法消極主義の根
拠を失うものあり、むしろ、司法は積極的に判断を行うぺきであり「裁量」
に逃げ込んではならない。

2 日本国憲法は、旧憲法下の人権抑圧に対する反省から、アメリカ流の司
法制度を採用し、司法権はその地位を高められた。即ち、詳細な基本的人権
のカタログを掲げつつ、これらの権利の保障が画餅に帰することのないよう
に、憲法の景高法規性の確認(九八条)の下に、行政事件の裁判権をもと
りこむ(七六条)一方、裁判所に違憲立法審査権を付与した。(八一条)。
これは、憲法が英米流の「法の支配」の原理に立脚したことを示している。
このように憲法は、その究極の目的たる人権保障について、その最後の砦と
して裁判所を位置づけており裁判所は「憲法の番人」として極めて量大な使
命を負わされているのである。
 そして、立法は政冶的多数者の意思の反映であるから、裁判所の違憲審査
は、議会によって代表されない政治的少数者、社会的弱者等の人権をよく保
障しうるのは裁判所をおいてなく、裁判所に違憲審査権が与えられたのもこ
のためであると言わればならない。即ち、立法政策に期待しえない者の保護
の為に違憲審査権が付与されたと考えると、その違憲審査権の行使に与って
は、立法政策に逃げこむことはもともと許されていないと断言しても過言で
ないのである。このように考えて初めて、国民の代表機閣でない裁判所が、
国民と直結し国民の代表である国会が制定した法律を違憲無効とできること
が説明しうるのである。

 1 上告人らが一審以来主張してきたように参政権は基本的人権である。
本件で、その人権が部分的制約でなく、全面的に剥奪されているのであ
る。このような、人権の剥奪に立法裁量論はなじまない。学者も別の事案の
評釈の中で次のように途ぺている。「(立法裁量論をとつたとき、)極端
な場合、一且付与した参政権を剥奪することも立法政策上可能なわけであ
る。このような立法政策としての参政権という考え方は、恩恵的付与には馴
染まない参政権の性質と矛盾する結果をもたらすことを容認するもので妥当
でない(判例時報一五四○号一五九頁・判例評論四四一号一三 萩野芳夫)

五 

以上の適り、原判決が、立法裁量論をとったのは原理的に誤っているもので
あり憲法に違反するものである。

第四 

   違憲審査方法の誤り(立法事実論)

一、

憲法訴訟においては、違憲か合憲かが争われる法律の立法目的および立法目
的を達成する手段(規制手段)の合理性を裏付け支える社会的・経済的・文
化的な一般事実の存在と、その事実が妥当性を有するか否かについて充分に
検討されなければならない(立法事実論)
 そのことが裁判官による憶断を排し、科学的根拠に立った憲法判断が可
能となると同時に、過度の立法裁量に対する実質的な歯止めとなり、日本国
憲法の基本原理たる基本的人権の尊重と民主主義原理を実現することにな
る。このように、憲法訴訟において、右立法事実の合理性と妥当性を最大限
検討することは憲法判新にとって必要不可欠な方法である。そして、裁判所
にいて争われた法律の制定時ないし裁判時において、右法律による規制を裏
付ける事実状況が存在しないときは、右法律は不必要の基本権規制として、
違憲無効とされなければならない。

二、 

上告人らは、控訴審において、とりわけ旧植民地出身者及びその子孫に対し
て、現行地方自治法並びに公職選挙法の本件国籍条項を適用し、地方参政権
(地方自治体における選挙権及び被選挙権を言う)を保障しないのは憲法条
項及び国際人権規約自由権規約に違反し無効であると主張し(適用違憲)、
右主張を基礎付ける立法事実に関する主張・立証を詳細に行った(甲第一○
号証〜一四号証)。

 第一に、上告人ら旧植民地出身者とその子孫の在留原困の歴史性と特珠牲
の事実、第二に、上告人らの社会生活における差別実態と杜会構成員性(住
民性)の事実である。
 戦前は、外地人として日本国籍を有する帝国臣民とされ、内地在住の外地
人としての朝鮮人は日本帝国臣民として選挙権、被選挙権を有していた事
実、ところが、日本の敗戦後、衆議員議員選挙法の改正過程において法的に
は日本国籍者であったにもかかわらず、単一民族国家論と治安推持、天皇
制の国体護持という政治的意図のもとで、同改正法附則に「戸籍条項」をあ
えて導入し、彼らの選挙権・被選挙権を停止するに至った事実、更には、一
九五二年四月一九日、一片の民事局長通達(民事甲第四三八号)によって、
これもまた一方的に、前記戸籍条項を基準にして旧植民地出身者の日本国籍
を「喪失」せしめた事実、以降、前記付則「戸籍条項」を何ら改変すること
なく、本件国籍条項によって、日本で生まれ育った旧植民地出身者の子孫も
含めて、政治過程への参加の中核である地方参政権の保障を全て奪い続けて
いる事実である。
 
 原判決は、本件国籍条項の立法目的に関して、憲法一五条一項の解釈か
ら、日本国籍を有す日本国民に限るとし、右立法目的を達成する手段とし
て、本件国籍条項により上告人らの地方参政権を全面的に禁止することに合
理性があると判断している。しかしながら、以上の社会的・歴史的事実から
判断すれぱ、旧植民地出身者及びその子孫に対して、本件国籍条項を適用す
るについても立法目的および立法目的を成する手段のいづれにおいてもその
合理性を裏付ける一般事実は存在しないし、その事実の合理性は存在しない。

三 

原判決は、右立法事実について、「右立法事実について「旧植民地出身者及
びその子孫が、その歴史的経緯により我が国での存在を余儀なくされ、日韓
併合以来今日まで我が国の社会構成員として無視し難い役割を担いながら、
民族差別の中で苦難と犠牲を強いられてきたものであり、我が国に定住する
外国人のうちで在日朝群人が特別な地位を占めていることからすると、これ
らの者に対しては、過去及ぴ現在における不当な処遇を可及的速やかに是正
し、我か国の社会に対する寄与に相応しい処遺を受けられるよう配慮するの
が望ましいことではある。」とあくまで一般論としてのみ判示し、本件国籍
条項の合理牲を、基礎付ける立法事実の判断については、その判断を回避し
ている。右原判決の判断は、明らかに違憲審査の方法を誤っており憲法違法
である。

第五 

国際人権規約自由権規約違反

 上告人らは、控訴審においても本件国籍条項が国際人権規約自由権規約二
五条に、違反すると主張した。しかるに、原判決は、一審判決理由を単に引
用するのみで、右二五条の「すべての市民」に関する解釈について正当な判
断を行なっておらず、著しい条約解釈の誤りがある。    

 以上