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| 妙泰寺縁起 当山は永仁二年(1294年)日蓮大聖人の法孫(日像菩薩、時に26才)京都弘教の大使命を帯び佐渡ヶ島より北陸を巡化して、同年三月下旬此の地、日野山・日野川あってその風光が身延山に似て、法華弘通の霊地なりと感得されて開基された。創立以来七百有余年北陸身延と稱し大本山妙顯寺四箇聖跡に列し北陸屈指の名刹である。 日像菩薩は此の地、大道に入られるや小川の流れる橋のたもと、小泉久左ェ門前で辻説法、三ヶ日感銘を与え当時真言宗の寺であった住職と問答し一山と共に一村をあげて改宗された。現在記念碑が建っている。問答形式は元旦に続行されている。江戸時代、慶長年間結城秀康公藩主となられるや、当山を武運長久の祈願所に附され、寛文三年松平昌勝藩主より十八石高、朱印地、位牌、葵紋付制禁令など賜り、天文年間末寺十二ヶ寺をゆえあって大本山妙顯寺に奉じた功績がある。 元享六年(1321年)後醍醐天皇の勅令を受けて大本山妙顯寺を創建された。本山より古きこと二十八年、越前法華の根本道場である。参詣すること七回に及べば総本山身延山に詣でた功徳ありと伝えられる。当山歴代住職は多くは本山に瑞世されて登龍門とも云えよう。 橘 曙覧勉学記念の碑 十五才から十七才まで自山三十四世、明導院日妙上人に仏学、漢字、詩歌などを学んだ橘曙覧の歌碑が客殿前に立っている。 山門(仁王門) 当山門は宝永年中に建立されたが、自山第三十四世日妙上人文政二年初秋再建を発願し、知恩院の門に則るを以って有名である。 座像釋尊並びに十六羅漢を安置し当山守護を祈願するものである。 |
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