| 谷口安定1838〜1896 | |
| ・緑天書院蕉蔭日定居士 ・魁本大字類苑の著者(越前市出身) |
|
|
天保9年(1838)2月10日、福井城下の府中邸で生れる。谷口馳右衛門松軒の長男。嘉永6年府中立教館に入学後、江戸留学を命ぜられ、若山勿堂の門にて経学を学び22歳の時に塾長に推された。文久元年帰郷して立教館助教授となるも翌年再び江戸に留学。中村敬宇の門に出入し、村上英俊につき法朗西学を学び西洋兵式等をも研究した。慶應元年に帰郷し立教館教授になり、家塾を開いて子弟の教育に努めたが、明治3年の武生騒動においては福井の獄舎につながれた。その後、大蔵省・元老院・外務省に勤務し、東京駒場農林学校教授となった。明治26年武生に戻り福井尋常中学校にて倫理・漢文を教える。学識深く威儀堂々として聲量も豊かに、その話を聞いて感服しないものはなかったという。人の苦しみを見れば必ず救いの手を差しのべたので、晩年には家財道具は全く姿を逸し、はなはだ窮迫していたという。 明治29年6月2日肺を患って亡くなる。59歳 ・著書:魁本大字類苑、外交志稿(谷口安定、北沢正城、石渡貞共編) |
|
| ・墓所 : 妙稲寺
|