| 関本龍門1868〜1940 |
| ・妙雲院日潜 ・幼名を上木五助、関本五助 ・大正・昭和の宗門教育者 ・法弟は、清水龍山 ・(越前市出身) |
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明治元年10月、越前市高木町 上木三右衛門の5男として生まれ、幼くして出家、福井大道妙泰寺出身の龍妙上木日令(1835〜92)に師事し、名を龍門と改め行学に励む。日令は宗学者優陀那日輝に学び、新居日薩・吉川日鑑らと共にその俊秀をうたわれ、当時和歌山感応寺の南紀学林学頭として門下育成に励んだ。大正3年身延山の祖山学院教頭に招請され、就任。大正7年、神奈川横須賀金谷山大明寺59世として晋山。祖師堂、七面堂等を再建し、寺観を一新、中興の祖として仰がれている。昭和7年9月、請われて立正大学学長に就任、宗門教育の最高責任者となる。龍門は大学内の整備と学徒の勉学に心を砕き、昭和8年には立正大学創立30周年の祝典を挙行し、大学に香風学寮を作った。昭和10年学長を清水龍山に譲って辞任。昭和15年73歳をもって遷化した。宗門教育に従事すること30余年、祖山学院・立正大学の長として激動期の宗門を担い指導した |
| ・大明寺内関本龍門墓碑銘 : 神奈川横須賀金谷山大明寺 |