寿福院(1570〜1631)
・寿福院殿花岳日栄大姉
・名を千世・チヨ・おちよぼ、後に東丸
・加賀前田利家の側室で、利常の生母。
日淳(兄)は、経王寺中興開基

(越前市高木町出身)

越前高木村の住民であった上木新兵衛の三女(母は山崎右京の女)として生まれ、利口で慈しみ深い人であったと言われている。

前田利家の府中龍門寺城に滞在中の時、利家と新兵衛の娘達の出会いは、「浅井家記録」では、「天正5年、前田利家が領地巡覧の際、高木村の上木新兵衛方みて昼休みをし、新兵衛の馬を見て所望した。新兵衛は、早速献上する旨を申し出たので、利家は新兵衛が納める租税を免除することにし、外に願いがないかと尋ねた。新兵衛は、娘二人を召使ってほしいと願い、姉妹は府中城に奉公した、後に姉の千世は利家の・・・」
芳春院(利家の正室、まつ)の侍女となり、22歳の時利家に従って肥前名護屋の陣中に仕えた。

宗門に残した功績は大きく、能登滝谷妙成寺を菩提所と定め本堂建立、番神堂・庫裏・五重塔建立を発願し、更に客殿・三光堂・御影堂・仁王門・鐘楼堂を相次いで発願建立した。また身延山の五重塔及び奥の院祖師堂拝殿等を建立した。その他、京都妙顕寺・中山法華経寺・比企谷妙本寺等にも外護を加えている。

寿福院は寛永八年(1631)3月6日、62歳で江戸神田の邸に没し、遺骸は池上本門寺にて火葬され、遺骨は妙成寺にに納められた。

墓所 : 滝谷妙成寺
寿福院生誕之地碑 : 越前市高木町八幡神社内


寿福院生誕之地碑