下長渕には、三味が好きで集まったメンバーがいます。
お祭りの時には、太鼓の横に、ひっそりと影役者ですが、すばらしい仲間がいます。
そのメンバーのお話を書かせて頂きます。

どうしても忘れてはいけない、あの方がいるからです。。
このお話を、亡くなった岩泉さんへ、贈ります。。


そんな、うそでしょう。。信じられない。。。
みんなの口からは、その言葉しか出てこなかった。。
だってあまりにも突然すぎたから・・。

2005年2月26/27日、例年のように左義長祭りが始まった。。
私たち下長渕地区では、昔 三味線・太鼓の有志が集い、下長渕左義長くらぶ  なるものがありました。
祭りを盛り上げる為に、このくらぶは発足しました。そして、とにかくたくさんの事を行いました。
下長渕地区は 少し道を入った奥まった所に櫓が建っている為、観光客にはあまり、知られない。。
でも、これだけ盛大に行っているんだというアピールをしたい。じゃあ、どうしたら、いいか・・。
もちろん、太鼓の技術や三味の技術をあげるのは、もちろんの事、それ以外にも、いろんなイベントを考えて、
見ているお客様を飽きさせないよう、少しでも楽しんでいただけるよう、本当に本当に、たくさんのアイデアを出し合って、
みんな、仕事を持っている中、ボランティアで一生懸命、活動を行ってきました。
沢山の施設に訪問活動をしに行ったり、
ハーモニーホールのこけら落としのときにも、、、、
敦賀博に郷土芸能として参加したときにも、、、、
いろいろと構成を考えて、皆さんにいいものをお見せできるよう、練習に練習を重ねて、それも、大成功を納めてきました。
たくさんの方が、櫓まで足を運んでいただけるよう、道路の脇に、短冊カラーの大きな幟を作り、道の両サイドに吊ったこともあります。
でも、これだけの事を続けていくには、仕事や家庭の事情なども絡み、またくらぶ員同士の意識のズレなど、
いろんなことが重なり、 下長渕左義長くらぶは解散してしまいましたが、その後は三味の弾き手だけで、三弦会という会を結成して、
お祭りの時にはお囃子をして、活動しています。

三弦会のみんなは年齢はそれはもうまちまちです。二十歳くらいの若い女の子も居れば、50代の方もいらっしゃいます。
だけど、みんな本当に仲が良く、なんでも言い合える関係です。みんなそれぞれ家庭のこと、仕事の事、大変ですけれど、
それでも、やっぱり練習やお祭りの時になるとちゃんと勢ぞろいして弾きだします。

そのメンバーの中に岩泉さんがいました。すごく熱心で、自分には厳しく、他人には優しく、
笑顔は本当に温和で優しいオーラがいつも漂っているような方でした。
2年前新人メンバーが加わり、岩泉さんがべったり、懸命になって、教えて下さいました。
皆、それにあわせて自分の技術向上も兼ね、練習日を設けましたが、なかなか忙しく集まれない時でも、
岩泉さんとその新人さんはたった二人だけでも練習に来ていたそうです。
お陰で、今年2度目のお祭り本番では、もう一人前!大丈夫!というくらいに成長しました。
それと同時に岩泉さんとその新人さんとの関係も、まるで家族のようなお付き合い、嫁・姑の関係で、
好きなこと言い合ったり、戒められたりして、本当にいい関係になっていました。
(周りの私たちから見ても、うらやましかったです。)

2005年2月の最終土日のお祭りも、三弦会、みんな勢ぞろいして一生懸命お祭りを盛り上げようと頑張りました。
おかげで、お祭りは大盛況!
町内以外の方々も、たくさん見にきてくださって、本当に賑やかでした。
三弦会の皆も、達成感で一杯でした。
まだお祭りの余韻が残って、家に帰るのは名残惜しいけれど、
明日からまた普通の日が始まる。 さぁ、またね!
たいへんだったけど、すごく楽しかったね!って・・
また来年も頑張ろう!って・・
今度少し落ち着いたら、ご苦労さん会でもしよう!って・・
そう言って、別れました。

それから、まだ一ヶ月も経っていない、3月の25日に、突然の連絡が入りました。
「岩泉さんが、、、岩泉さんが亡くなった。。心筋梗塞で・・」

うそ!
ぜったい、信じられない・・・
そんな、岩泉さんが、死ぬはずなんて、ないじゃない!

亡くなったなんて信じられない、みんな同じ気持ちでしたが、亡くなったその夜、家に駆けつけてみると、岩泉さんは、やっぱり亡くなっていたんです。。
その顔は本当に眠っているようで、まるで笑っているようで、まだ血が通っていて、触ると暖かいような、
綺麗な綺麗な顔をしていました。
いつもの調子で、今にも冗談をいいそうな。。いつもの笑い方で、まるで笑い出すような・・。

でも、もう2度と目を開けてはくれない・・・。
誰かの口から、、「目を開けてやー。」・・・でも、何も返答が帰ってこない・・辛い。胸の奥がキューンって、、
亡くなったなんて認めたくない!そんなの嫌なのに、嫌なところに気持ちを置かないといけない辛さ。
どうしても、どうしても、変えたくても、変えられない辛さ。
神様!頼みます!時間をちょっとだけでいいから戻して下さい!
みんなで努力すれば、この現実が変わる・・・なんていう世界じゃない、この状態。

皆、もう胸が張り裂けるような、思いでした。。。

日頃から仕事は激務だと言っていました。
細いきゃしゃな身体でしたけれど、「この私が台車を何回も往復してるんやよ。」って言ってました。
不景気な世の中、休みたくても、休んでしまうと、仕事が回らないから、すぐ次の新しい人を補充させられてしまう・・
そんな話も聞いたことがあります。
痩せた方だったけれども、「会社の健康診断で、高コレステロールって言われたぁー」っていうのも聞いたことがあります。
そしてお祭りが終わった後は、娘さんの病気もあり、看病をされたりして、
疲れた身体に鞭打って、頑張ってこられたんだと思います。
でも、岩泉さんの事だから、全然疲れるなんて思ってもいなかったんじゃないかなっって、思います。
何事にも懸命に取り組む方だから・・。まして、娘の為なら、全然 苦じゃなかったと思います。

岩泉さんが亡くなったその日は3月の終わりなのに、めずらしく雪が降り、あたり一面は真っ白で、すごく綺麗な情景でした。
そして、最後のお見送りとなるお葬式の日は、春のように晴天でした。
岩泉さんの事だから、まるで、来ていただいた方の足元が悪くならないように、気を遣ってくださったような、そんな気がしました。
棺の中に、小さな三味線を入れさせていただきました。向こうへ行っても、いつもの調子で、身体を揺らしながら、
三味線 弾いていてください。
優しい笑顔で、優しい音色で、弾いていてください。

そして、あなたが作詞してくださったという、左義長の唄(下長渕独自の歌詞)

今日は楽しい火の神祭り、
   下長櫓は  襦袢の花よ〜 襦袢の花よ〜

花が大好きだった岩泉さんらしい この唄、ずーっと歌い続けていきますからね。
あなたの三味は、教えてくださった新人さんに、しっかりと受け継がれていますから・・。
あなたの気持ちは、私達の心の中に、ずーっとずーっとありますから・・・。
この間初七日があり、遺影を囲んで三弦会のみんなが丸くなって話をしていました。
実物大くらいの遺影なのでまるで、そこで、黙ってにっこりとこの話を聞いて下さっているようでした。
なんか、ちょっと前の時間に戻ったような・・なんか少しだけ気持ちに整理がつけそうなそんな時間を過ごせました。
今までいっぱいお世話になりました。そして、有難うございました。